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2015年11月09日23:00

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新日本プロレス北米選手権考察(32)

79年12月17日、ニューヨークMSGで開催された WWF定期戦に日本から猪木、坂口、藤波、長州の4選手が出場。主力選手がこれだけMSGに出るというのも初めてで当時のWWFと新日本の蜜月関係を現しています。

猪木はアイアン・シーク(ハッサン・ザ・アラブ)とNWFヘビー級王座防衛戦。Iシークの凶器ブーツ攻撃に額から流血しながらも14分59秒、延髄斬りからの体固めで勝利し27度目の王座防衛。

猪木のNWFヘビー級王座防衛戦はWWF圏では4月17日、ペンシルバニア州アレンタウンでのニコリ・ボルコフ(弓矢固めで防衛)戦以来2度目でしたが、NWFという団体としてはかつてニューヨーク州でオポジション(敵対勢力)にあった組織のベルトがWWFのリングでどういった扱いを受けるのかが気になるところです。

馬場の全日本プロレスはアメリカでPWFヘビー級のタイトル戦を開催する時はわざわざロード・ブレアース会長を呼んでリング上から認定宣言をしてその模様をテレビ収録して流すという非常に権威つけには拘りを持っていました。

10年に猪木がWWE殿堂入りした時に発売されたレッスルマニア26のDVDの中にテレ朝版でない猪木vsIシーク戦が収録されていますが、その中で「ジャパニーズ・ヘビーウェイトチャンピオンシップ」とコールされているのが聞き取れます。

WWFからするとその程度のモノだったのでしょう。

週刊ファイトにこの時の話ではありませんが80年8月9日にニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでのWWFのビッグマッチに猪木が出場し、ラリー・シャープとNWF王座防衛戦を行った時に、猪木をコールしたリングアナウンサーのビンス・マクマホン・ジュニア(現在のビンス)が、

「ノースアメリカン・ヘビーウェイトチャンピオンシップ」とコールした後で、「ポリティクス、ポリティクス!」(政治、いわゆる大人の事情的な意)とコメントした、という記事がありましたが、それを考えると創作記事だったと思われます。

初めてWWFのリングで北米タッグ選手権試合が行われ坂口、長州組がアレン・コージ(バッドニュース)、ジョジョ・アンドリュース(ザ・カサバブのリングネームで78年2月に国際に来日)組と対戦。9分44秒に坂口がアンドリュースを逆エビ固めで破り5度目の防衛。この時のアナウンスは記憶にないですがちゃんとノースアメリカン・タッグチャンピオンシップとコールされていたかは甚だ疑問であります。

藤波はビクター・リベラの弟とされるジョニー・リベラ(77年2月全日本に来日)を10分17秒ジャーマンで降しWWFジュニア・ヘビー級王座を防衛。

問題のボブ・バックランドとボビー・ダンカンのWWFヘビー級王座決定戦はバックランドはベルトは巻いて来ず、試合前にベルトを持ってリングに上がった新間寿WWF会長が何やらマイクで喋っていましたが、内容については不明で日本での出来事がニューヨークのファンに伝わった可能性は低いかと思われます。

おそらく、ニューヨークのファンには日本でのベルト移動は感心がなかったのではないでしょうか?

試合は17分18秒、バックランドが回転エビ固めで勝ち、王座返り咲きを果たしています。

前年12月に続きNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスがMSGのリングに登場、前年はトニー・ガレアとの対戦でしたがこの時はダスティ・ローデスとの防衛戦。

試合は額からローデスが流血、流血の類いには厳しいニューヨークならではの判定で13分21秒、レイスがレフェリーストップ勝ちで王座防衛。

この大会の模様は翌80年1月1日の元日午後7時から2時間枠で「新春プロレススペシャル」としてテレ朝で放送されました。

レイスvsローデスの試合も放送され、馬場を激怒させています。

この79年という年は新日本プロレスが74年に次ぐ大躍進を見せた年でした。

76年のモハメド・アリ戦で7億円とも9億円とも言われた負債を抱えてしまった新日本プロレスは異種格闘技戦や海外での試合を特番で放送した放映権料でこの年借金をテレ朝に完済。6月には猪木、坂口に代表権が戻されています。

年間興行数も203と75年の208に次ぐ興行数で人気が復活しました。

猪木のNWFヘビー級王座防衛戦は1月12日、川崎市体育館でボブ・ループ、シン、ボルコフ、4月22日には初のメキシコでの防衛戦、メキシコシティ・エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスでカネックに2-0のストレート勝ち。

ジャック・ブリスコ、シン(2回)、スタン・ハンセン、シン、ローデス、ペドロ・モラレス、Iシークと防衛戦を重ね、うちシンとの2回がノーコンテストで防衛記録に加算されていませんが年間10度の防衛を達成。

格闘技戦シリーズでは2月6日、大阪府立体育会館でミスターXに腕ひしぎ逆十字固めで完勝。4月3日福岡スポーツセンターでは全米カンフー王者レフトフック・デイトンにヘッドバット連発からバックドロップでTKO勝ち。

6月には3年ぶりにパキスタン遠征を行いました。

6月17日ラホールではアクラム・ペールワンの甥ジュベールと対戦し5分10R戦ってドロー。翌18日にはカラチでシンと両者KOの引き分け。

10月5日韓国ソウル市奨忠体育館ではウィリエム・ルスカを弓矢固めで降しWWF格闘技世界ヘビー級王座を防衛しています。

藤波も凱旋帰国2年目で数多くのWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を敢行しています。

1月11日ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでロディ・パイパー、翌12日にも同所でエディ・マンスフィールドに勝利、2月19日MSGでトニー・ルッソー、ペーロ・アグアヨ、アレンタウンでジプシー・ロドリゲスを破りメキシコではエル・ソリタリオと1-1の引き分け。

前年敵前逃亡したカネックが来日し5月30日大阪府立体育会館では両者リングアウト、延長5分も引き分け。6月7日蔵前国技館でのカネックとの再戦はカネックのミサイルキックを下から迎撃しての勝利。

トニー・ロコ、シン・リーガン、スキップ・ヤング、ダイナマイト・キッド(WWF、英連邦ジュニア・ヘビー級ダブルタイトル戦、引き分け)と防衛記録を24に伸ばしましたが10月2日大阪府立体育会館で剛竜馬の逆さ押さえ込みに不覚を喫し王座転落。

2日後の10月4日蔵前で剛を回転足折り固めで降し王座奪回し翌5日には韓国ソウルで星野勘太郎に両者リングアウトのドロー防衛。

グレッグ・バレンタイン、木村健吾、ジョニー・リベラを連覇、MSG決戦の後はメキシコに飛び12月19日にはパラシオ・デ・ロス・デポルテスではアンヘル・ブランコに1-1引き分け防衛。

まさに世界を駆け抜けた1年でした。
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