79年11月16日、沖縄・那覇市奥武山体育館(テレビ生中継)では坂口、長州組がグレッグ・バレンタイン、マサ齋藤組の挑戦を受けて北米タッグ王座の防衛戦を行っています。
試合は長州が額から流血する展開となり1本目は9分1秒日本組の反則勝ち。2本目は55秒に齋藤がバックドロップから長州を体固め。決勝の3本目は37秒、長州が齋藤をバックドロップから体固め。
2-1で坂口、長州組が4度目のタイトル防衛に成功。坂口はシングルのベルトは変わったものの引き続き北米2冠王の座に君臨しました。
来日が遅れたタイガー・ジェット・シンは翌日11月17日の沖縄・具志川市闘牛場特設リング大会からシリーズ参戦を果たしています。
シンのチェーンデスマッチでの対戦要求に対し猪木は当初これを受けるようなニュアンスの発言をしていますがボブ・バックランドとのWWFヘビー級選手権試合2連戦を控えておりさすがにこのシリーズでは実現せず。
代わりに坂口がシンとのチェーンデスマッチをやるとアピールし、北米ヘビー級王座統一戦はどこへやら、シリーズ最終戦の12月6日、蔵前国技館でバックランドvs猪木のセミファイナルとして行われることが発表されました。
11月30日、徳島市立体育館で、猪木はバックランドのWWFヘビー級王座に挑戦。
試合は74年3月19日、蔵前国技館でのストロング小林とのNWF世界ヘビー級選手権試合以来5年半ぶりの90分1本勝負で行われました。特別レフェリーはレッドシューズ・ドゥーガン。
試合は白熱した攻防を展開する中、猪木の卍固めが決まるもバックランドは上体を起こして懸命にロープエスケープ。
リングサイドにシンが姿を現しました。先に気を取られたのは猪木でエプロンサイドまでシンを追っていったところ、バックランドに担ぎ上げられてハイアングル・アトミックドロップからフォールの体勢へ。カウント2でクリアした猪木。
今度はバックランドがシンの方へ行き威嚇、猪木は背後からバックランドをバックドロップで投げつけてすかさずカバー。今度はカウント3が入りました。
28分16秒、体固めで猪木が勝ち第9代王者となりました。新日本プロレス旗揚げから7年半、ついにローカルテリトリー時代の米国3大メジャータイトルの一つであるWWFヘビー級王座を獲得。リニューアルされた藤色の革製の黄金のベルトを手中にしました。
正直、バックランドのカウント2と猪木のカウント3はほぼ同じ位のタイミングでお互いキックアウトしたように思います。
12月4日、大阪府立体育会館では猪木はペドロ・モラレスとNWFヘビー級王座防衛戦を行っています。
「猪木にいいところが全くなかった」という理由でテレビ収録されながらも放送が見送られた、とされる前年7月24日広島県立体育館大会以来のモラレスの挑戦でしたがこの時は早い展開の試合となり8分29秒、猪木がブレーンバスターから体固めで26度目の防衛。
猪木はこの時点でWWFヘビー級、NWFヘビー級、WWF格闘技世界ヘビー級の3冠王者だった訳です。
藤波はこの日グレッグ・バレンタインとWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を行いました。
グレッグがジュニアとは大変疑問な話ですがこの日の計量では107kg。オーバーウェイトであり試合前に新間寿WWF会長はグレッグが勝っても王者とは認めない旨発言しタイトル戦は強行。
藤波は11分53秒、高角度前方回転エビ固めで勝利し2度目の防衛を果たしましたが、グレッグはアメリカではニューヨーク、ノースカロライナでトップの実力者ですがジュニア・ヘビー級王座への挑戦者としては明らかな人選ミスと言えたでしょう。
バックランドはシンと初のシングル戦。新日本のマットでは当時はMSGシリーズ公式戦以外では珍しい外国人レスラー同士のシングル対決となりました。
試合はターバンでバックランドの首を絞めにいったシンが先制攻撃。バックランドも持ち前のパワーでアトミックドロップ、ドリルアホール・パイルドライバーで反撃。
シン劣勢のところ、シンのセコンドであるニコリ・ボルコフがチェーンをシンに手渡し、シンがチェーンでバックランドの首を染めて8分4秒、バックランドの反則勝ちとなりました。
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