77年になると、新日本プロレスのリングにまだら狼上田馬之助が登場し北米タッグ王座は前年までとは流れが一変しています。
1月7日越谷市体育館での新春黄金シリーズ開幕戦に乱入した上田はタイガー・ジェット・シンと共闘。
セミファイナルの坂口、ストロング小林組vsシン、ブルータス・ムルンバ組の北米タッグ選手権試合前哨戦(1月14日福岡九電記念体育館で両チームによるタイトル戦が発表されていた)に乱入した上田は試合をぶち壊しノーコンテストに。
さらにメインの猪木vsスタン・ハンセン戦にもシンと共に猪木を襲撃しています。(試合は猪木の反則勝ち)
これを受けて福岡では上田がシンと組んで坂口、S小林組の北米タッグ王座へ挑戦が決定。シン、ムルンバ組はダミーカードだったと思います。
1月14日福岡九電記念体育館大会で上田は初めて新日本のリングで試合を行いました。
その前のセミの猪木vsハンセンの試合にシンとまたしても乱入した上田は3人がかりで猪木を袋叩きにして猪木はまたも反則勝ちとなり、乱闘の際場外でハンセンの日本初公開のラリアットを食らった猪木は首を負傷。
以後2週間シリーズを欠場しています。
メインの北米タッグ戦も大荒れの試合展開となりシン、上田組は小林の左腕を集中攻撃。1本目は13分1秒シンが逆腕固めで小林から先取。
2本目戦闘不能の小林の左腕を2人がかりで攻めた為6分36秒ノーコンテストとなり坂口、S小林はスコアでは1本取られていますがノーコンテストの為ベルト移動はなし。これにより上田のヒール人気は全国で爆発しました。
2月2日大阪府立体育会館で行われた再戦は9000人(超満員)の観客を動員しました。
シンも上田というパートナーを得たことによりマンネリ化が防がれ、生き生きとしたヒールファイトを展開。
1本目小林の痛めている左腕を集中攻撃したシンが17分2秒、キーロックで小林をギブアップさせました。
2本目は3分32秒に日本組が反則勝ち、しかしこの時点で小林の左腕は限界に達しリング上で失神、3本目は小林の試合放棄となり2-1でシン、上田組が勝利。新王者チームとなっています。
またこの日猪木がテレビマッチ復帰戦としてハンセンをバックドロップからの体固めで勝利。
シリーズ最終戦の2月10日日本武道館では猪木はシンに22分55秒レフェリーストップ勝ちでNWFヘビー級王座を防衛。
坂口は上田とシングルマッチで対戦しましたが僅か3分24秒上田が謎の試合放棄。
シン、上田の観客席への乱入を防ぐ為また、リング内で決着をつける為この日の大会では初の場外フェンスが設置されましたが無意味に終わりました。
3月4日、高崎市体育館で開幕した第4回ワールド・リーグ戦には2年半のヨーロッパ、カナダ修行を終えて凱旋帰国した吉田光雄(長州力)の活躍で話題を集めましたが、シード選手だった猪木と猪木のNWFヘビー級王座以外には興味がないとジョニー・パワーズが棄権して盛り上がりに欠けました。
シリーズ最終戦は3月31日蔵前国技館が発表されていましたが、翌日の4月1日も国技館で追加興行が行われることになりました。
これには新日本プロレスを放送していたNET(日本教育テレビ)が4月1日からテレビ朝日に社名変更するにあたり、人気番組であったワールドプロレスリングもビッグマッチを増加することになった訳です。
3月31日は坂口がマスクド・スーパースターを20分5秒、逆エビ固めで破り第4回ワールド・リーグ戦に優勝。前年76年にペドロ・モラレスにリングアウト勝ちで初優勝したのに続き2連覇を達成しています。
猪木はパワーズを20分23秒バックドロップからの体固めで勝利しNWFヘビー級王座を防衛。
追加興行となった4月1日にはシン、上田組の北米タッグ王者チームが出場、左腕負傷により欠場中のS小林に代わって猪木が坂口との黄金コンビを復活させて挑戦。
1本目は14分41秒シンがコブラクローから坂口を体固め、2本目は5分11秒坂口が上田をジャンピング・ニーアタックから体固め。
3本目は3分16秒にシンが特別レフェリーのルー・テーズに暴行を加え反則負けとなり2-1で猪木、坂口組が勝ちましたがルールによりベルト移動はなし。
猪木、坂口組をもってしても北米タッグ王座奪取は成りませんでした。
ちなみに観客動員は初日が9500人、2日目が9000人発表で満員マークはつきませんでしたがまずまずの興行成績だったと言えます。
ログインしてコメントを確認・投稿する