76年は猪木が格闘技世界一決定戦路線に乗り異種格闘技戦に走ったところからNWF世界ヘビー級王座の防衛戦は年間4回と少なくなりました。
3月18日蔵前国技館ではジョニー・パワーズを2-1で撃破。アリ戦を挟んだ8月5日には蔵前国技館でタイガー・ジェット・シンと両者リングアウト(私のプロレス初会場観戦)。
8月6日〜8日、ネバダ州レイクタホーで開催されたNWA総会では会長就任に伴う業務多忙からセミリタイアとなりダラスの興行の客入りが激減したジャック・アドキッセン(フリッツ・フォン・エリック)が現役への未練から退任の意思を表し、代わってフロリダのエディ・グラハムが会長に就任しています。
そこで出たのが猪木のNWF王座に未だに「世界」がついているという問題提起でした。
ビンス・マクマホン・シニアのWWWFも馬場のPWFもNWA加盟後は慣例に従って「世界」の二字を削除しています。
この話題を出したのはもちろん馬場で、新会長に就任したグラハムと共にCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)のオーナーだったヒロ・マツダが新日本プロレスの興行ポスターを証拠として持ち出してこれを糾弾しています。
NWAはNWA世界ヘビー級王者以外世界王者は認めていませんでした。
ビンス・シニアも馬場も世界を削除しているのだから、猪木も即刻世界を削除せよ、というものでした。
前年に加盟を認められた時の条件には付与されてませんでしたが猪木がこの慣例を知らなかった訳はありません。
猪木はNWA世界ヘビー級王座へ1年挑戦出来ないのであれば、こちらも世界を名乗らせてもらう、と敢えて世界の二字は外さずにいました。
もう一つ理由があり、アリとの試合はプロレスとプロボクシングの現役世界王者同士の対戦でなければ世間に対するアピールが弱くなるという事情がありました。
アリはプロボクシングWBA、WBC統一世界ヘビー級王者、猪木はプロレスのNWF世界ヘビー級王者、という形で組織の強弱の差はあれど、「世界王者同士」にこだわっていたのです。
ブラジル遠征中だった猪木は総会には出席せず、この年も坂口と新間寿営業本部長が出席、個人加盟だったNWAのメンバーは新日本プロレスは猪木ではなく坂口と新間がメンバーになっていましたがその場での返答は保留。
帰国し闘魂シリーズが開幕してからの8月29日、猪木はNWAからの勧告に従いNWF王座から世界の二字を削除することを発表しています。
以後はNWFヘビー級選手権が王座の正式名称となりました。
この時、NWFからは何も言って来ず、日本のファンはNWFが既に実体がなく新日本プロレスが管理、運営しているタイトルであることを知らされることになります。
その後は10月10日韓国・ソウル市奨忠体育館でパク・ソンナンにリングアウト勝ち。12月2日、大阪府立体育会館では元WWWFヘビー級王者イワン・コロフに九死に一生の逆さ押さえ込みによる逆転勝利で防衛しています。
また、この年2月に新設が発表されたアジア・ヘビー級とアジア・タッグ王者を決めるアジア・リーグ戦が7月9日後楽園ホールから8月5日蔵前国技館にかけて開催されています。
ヘビー級は7月29日大阪府立体育会館でタイガー・ジェット・シンが坂口を2-1で破り初代王者になり、タッグは8月4日仙台・宮城県スポーツセンターで坂口、ストロング小林組がシン、ガマ・シン組を同じく2-1で降し初代王者になりました。
坂口、S小林組は北米タッグと併せてこの年タッグ二冠王者となり、東スポプロレス大賞の年間最高タッグチーム賞を受賞しています。
この勢いで坂口、S小林組は全日本のインターナショナル・タッグ王者チームの馬場、鶴田組、国際プロレスのIWA世界タッグ王者チームのグレート草津、マイティ井上組に対し「タッグ日本選手権」の開催を呼び掛けましたが案の定実現せぬままに終わっています。
ログインしてコメントを確認・投稿する