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2015年09月28日22:42

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新日本プロレス北米選手権考察(12)

76年の年頭の1月7日、東京日比谷の帝国ホテルで72年ミュンヘン五輪柔道重量級、無差別級金メダリストであるオランダのウィリエム・ルスカがプロ格闘家に転向、猪木に挑戦を表明しました。

2月6日、新日本プロレス初使用となる日本武道館で両者が格闘技世界一決定戦で対戦することが発表されています。

日本武道館は当時ではワンクラス上の試合会場でこの時までプロレスに使われたのは66年12月3日、日本プロレスの馬場vsフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル選手権試合の時と前回書いた75年12月11日の全日本、国際、日本(名前だけ)合同による力道山13回忌追善記念興行のみ。

64年東京五輪の柔道の試合会場として開館した武道館でプロレスvs柔道の異種格闘技戦が行われるというまさにロマンでした。

これに激怒したのが1月2日、越谷市体育館で開幕した新春黄金シリーズに来日していたタイガー・ジェット・シンでした。

前年6月26日に猪木にNWF世界ヘビー級王座を取り返されたシンは試合後猪木の手を上げてこれを祝福。それ以来の来日となりましたが開幕戦では星野勘太郎を相手にクリーンファイトを見せ横入り式エビ固めで勝利。

新日本プロレス初の武道館大会のメインイベントは自分と猪木のNWF世界ヘビー級選手権試合だと思っていたシンはルスカ戦決定のニュースを聞くや豹変。

1月9日福岡九電記念体育館での猪木とのシングルマッチでは狂乱ファイトを展開、猪木を流血に追い込んで両者リングアウトの引き分け。

1月29日大阪府立体育会館での両者の再戦でシンは猪木の鼻の上をサーベルで殴打して負傷させ、さらに股間をトップロープに打ち付けて反則負け。

1週間後にルスカとの試合を控えた猪木はルスカ戦の前日、2月5日札幌中島スポーツセンターで予定されていたシン、ブルータス・ムルンバ組(当初はブルドッグ・オットーとシンが組む予定だったが変更された)との北米タッグ防衛戦の出場を辞退し王座を返上。(試合は欠場せず)

猪木の代わりにストロング小林が坂口と組んで王座決定戦に出場しています。

前年9月22日にはハリウッド・ブロンドスとの王座決定戦で一敗地にまみれている小林だけにもう負けられないとばかり奮起。

1本目は7分18秒、シンがコブラクローで小林を体固め、2本目は小林が坂口とのダブル・アトミックドロップ、バックドロップを見せてムルンバを体固め。

決勝の3本目は4分3秒、日本組がリングアウト勝ちで坂口、小林組が2-1で王座獲得。

小林は新日本プロレス移籍後ベルト初戴冠となりました。

翌2月6日、日本武道館での猪木vsルスカの格闘技世界一決定戦は時間無制限1本勝負で行われ20分35秒バックドロップ3連発により猪木がTKO勝ちを収めています。

この年は坂口、小林組のパワーファイターズの時代がやって来た年でした。

3月4日広島県立体育館ではエル・ゴリアス、ブラック・ゴールドマン組、5月13日大阪府立体育会館ではペドロ・モラレス、ビクター・リベラ組、6月4日札幌中島スポーツセンターではハリウッド・ブロンドス(引き分け)、9月3日愛知県体育館ではスーパースター・ビリー・グラハム、イワン・コロフ組、12月8日横浜文化体育館ではパット・パターソン、ラリー・ヘニング組と年内5回の防衛に成功しています。

ルスカ戦に勝利した猪木ですがこの年は6月26日日本武道館でのモハメド・アリとの世紀の大一番(引き分け)を終えた後は格闘技世界一決定戦ロードを邁進。

10月7日蔵前国技館ではアリvs猪木戦の行われた日、ニューヨーク・センチュリー・シェアスタジアムでプロボクシングヘビー級世界ランカーだったチャック・ウェップナーにリングアウト勝ちしたアンドレ・ザ・ジャイアントに23分44秒レフェリーストップ勝ち。

12月9日蔵前国技館でのルスカとの再戦も21分27秒レフェリーストップにより返り討ちにしてみせました。

年末はパキスタン遠征を行った猪木は12月12日カラチ・ナショナルスタジアムで現地最強と言われたボル(ボロ)・ブラザーズのアクラム・ペールワンと対戦し3ラウンド1分5秒、逆片腕固めで勝利。アクラムはこの試合で腕を骨折、事実上引退に追い込まれました。
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