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2015年09月21日11:26

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新日本プロレス北米選手権考察(7)

猪木のNWF世界ヘビー級王座返上問題は新日本プロレスの仕組んだ話題作りに他ありませんでした。

長い日米プロレスの歴史においてデビット・ヘルマン(ディック・フェラルドマン)NWF会長、ジェリー・アレン・プラター会長代行の名前が出てくるのはこの時一度限りです。

NWFはジョニー・パワーズとアメリカ東部のプロモーターだったペドロ・マルチネスによって70年に旗揚げされた団体でありヘルマンやプラターという名前は出て来ません。

当時のゴング誌によるとヘルマン会長はNWFの顧問税理士であり公認会計士であると書かれておりました。

また、猪木とタイガー・ジェット・シンの75年3月13日広島、20日蔵前の王座決定戦2連戦に立会人として来日したプラター会長代行の正体はアメリカのプロレス雑誌の記者でした。

まあ、いい加減ではありますがあながちでっち上げでもなく、日本の企業でも顧問税理士が顧問先の法人の監査役に就任しているのは普通にある話ですし、

ゴングの竹内宏介さんや、小佐野景浩さんが全日本プロレスのリングでタイトルマッチ認定宣言をやるのと大して変わらないでしょう。

3月13日広島県立体育館の初戦で、シンはこれまで出していなかったブレーンバスター(前週の7日、横浜文化体育館での猪木、星野勘太郎組vsシン、マイティ・ズール組の3本目に初公開して猪木からフォールを奪っている)を出し、カウンターの凶器打ちから19分24秒、体固めで猪木を破り王座を獲得してしまいました。

当時としては衝撃の結末で、猪木は「挑戦者としての資格に欠ける」シンに王座決定戦で敗れてしまった訳です。

最終戦の3月20日、蔵前国技館では王者シンに猪木が挑戦、ということになりました。

その広島と蔵前の間の3月18日には愛知県体育館で猪木、坂口組にシン、ズール組が挑戦した北米タッグ選手権試合が行われ1本目は両チームリングアウト。2本目は坂口がズールをアルゼンチン・バックブリーカーでギブアップさせ4度目の防衛に成功しています。

最終戦の3月20日蔵前国技館で猪木はシンのNWF世界ヘビー級王座に挑戦。シンを流血させて試合を優位に進めましたが場外乱闘で深追いし19分1秒両者リングアウトに逃げられ王座奪還はなりませんでした。

NWF世界ヘビー級王座は1年3か月ぶりに海外流失、ベルトは再びNWF圏内に戻されたという訳です。

一方、全日本プロレスでは、75年2月5日、テキサス州サンアントニオ・ミニュシバル・オーデトリアムで馬場、鶴田組がドリーとテリーのザ・ファンクスを2-1で破り3度目の挑戦にしてインターナショナル・タッグ王座を獲得。

前王者チーム、ファンクスを日本に呼んでのリターンマッチは3月8日、札幌中島スポーツセンターでは1-1から両チームリングアウトの引き分け。

3月13日、日大講堂では2-1で馬場、鶴田組が勝利を収めました。

これで当時日本に存在していた男子3団体、国際、新日本、全日本の全てにシングルとタッグのベルトが出揃った、と書きたいところですがNWF世界ヘビー級王座はシンが獲得しカナダ・トロントに帰国。

NWF会長代行のプラター氏は「パワーズが猪木に負けるというミステークを犯して日本にベルトを取られてから我々は厳しい環境の元ビジネスをしてきた。シンがベルトを奪い返してくれたおかげで我々NWFは復興出来る。もうシンは日本へは来ない、もし猪木がベルトが欲しかったらアメリカ、カナダまで挑戦しに来い。」とコメントしています。

この頃はパワーズのベルト売却の話など知らなかった日本のプロレスファンは猪木がせっかく獲得したNWFのベルトが海外に戻ったことで、猪木の挑戦は難しくなるのでは?と本気で心配したものです。

次回はこの辺を考察、検証していきたいと思います。
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