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2015年09月15日23:20

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新日本プロレス北米選手権考察(4)

ジョニー・パワーズ、パット・パターソン組とカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組の北米タッグ王座をそれぞれ「別物」と見る向きが定説となっています。ベルトが異なっている事が最大の要因かと思います。

私はちょっと見解が異なり、「王座は同一だけど王者チームは別」というややこしいものです。

つまりパワーズ、パターソン組もショッツ、ヘス組もダミーチャンプであるということです。

新日本プロレスパンフレット縮刷版と言う本によるとパワーズ、パターソン組はNWA太平洋沿岸北米タッグ王者チームでショッツ、ヘス組はモントリオールでNWA北米タッグ王座を奪取と記載があります。

ですが、いずれも情報源は新日本プロレスのオフィシャルパンフレットであり、新日本プロレス側が一方的に発信しているに過ぎません。

当初、新日本は公式パンフに別物としてリリースしましたが、実際は王者チームをすげ替えただけ、それを後付けでおそらくゴング誌の竹内宏介さんあたりがパワーズ、パターソン組からショッツ、ヘス組への移動というストーリーを考えてそれを新間寿氏が「追認」したのでは?と思われます。

ちなみにローカルテリトリー時代の全米プロレス界にはノースアメリカン、US、インターナショナルという名称のついたベルトはシングル、タッグ共に数えきれない位存在しとてもではないですが全部把握することは不可能です。

73年12月にパワーズ、パターソン組を呼んだ時になぜベルトを猪木、坂口組に獲らせなかったのか?という疑問もありますが、1シリーズでNWF世界ヘビー級と北米タッグの2つのタイトルを1度に移動させてしまってはやはり不自然で、ここは猪木のNWF王座奪取を最優先させたことでタッグは翌年のお楽しみ、ということで間違いないでしょう。

ではなぜパワーズ、パターソン組をもう一度呼ばなかったのか?となりますが、これは両者のスケジュールが合わなかった、というよりパターソンがサンフランシスコの仕事が多忙になり来日出来なかったのが理由と思われます。

パワーズはショッツ、ヘス組が来た次の74年サマー・ファイト・シリーズに猪木に奪われたNWF世界ヘビー級王座を奪還すべく来日していますが、

パターソンは76年10月の闘魂シリーズ第2弾まで来日が約3年もなかったことから、パターソンのブッキングが出来なかった新日本プロレスが、この時点でパワーズ、パターソン組の招聘を断念したと考えます。

また、ショッツ、ヘス組のベルトはおそらく日本で作られたか日本から発注しアメリカで制作したものと推測出来ます。

その根拠はベルト中央に刻まれているNWAの三文字。

アメリカでは1ローカルベルトにわざわざNWAとご丁寧に入れることは通常なく、新日本プロレスが「NWA認定」に強くこだわっていた為でしょう。

「NWAの認定、管理する王座はNWAの会員でなければ挑戦出来ない」という馬場のロジックがデタラメであることを立証する為に。


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