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2015年09月08日22:41

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新日本プロレス北米選手権考察(1)

先日、呟き版「プロレス今日は何の日?」で北米タッグ王座の件を取り上げたところ、読んで下さったマイミクさんより、同王座への質問がありました。

新日本プロレスの黎明期に出現した北米タッグ選手権はその出土に不詳な点も多々あり、未だ真相がわからない部分もありますが、新日本に初めてもたらされたタッグ選手権であり、今回から後に登場する北米ヘビー級王座と併せてその謎を解明していきたいと思います。

北米タッグ選手権、正式には「NWA認定ノースアメリカン・タッグ選手権」が初めて日本のファンにその存在が知られたのは73年8月24日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム大会。

王者チームジョニー・パワーズ、パット・パターソン組に新日本が誇る黄金コンビ猪木、坂口組が挑戦しています。

この試合は96年12月に開局したCS放送プロレス格闘技専門チャンネル「ファイティングTVサムライ」の目玉番組の一つだった新日本プロレスのレトロ番組「闘いのワンダーランド」の初回に放送されました。

テレビ朝日の前身であるNETテレビがワールドプロレスリングとして新日本プロレスの放送を開始したのが73年4月6日であり、現存する新日本の中継の最古の映像として注目の素材でした。

試合は1-1から日本組が反則勝ちとなり、王座移動ならず。パワーズ、パターソン組が防衛しています。

この時パワーズとパターソンが持って来ていたベルトは金色のブリキのベルトで急造感が見えました。

NWFの共同オーナー兼エースレスラーでありバファロー、クリーブランド、カナダのトロントを主戦場にしていたパワーズとサンフランシスコを中心とした西海岸で活躍していたパターソンはアメリカ、カナダでもタッグチームを組んで一緒に仕事をしていた記録はなく、おそらくこの日の為に即興で組まされたチームでしょう。

日本では元NWF世界ヘビー級王者としてパワーズの方が格上という認識を持っている人が多いと思いますがアメリカでの実績と評価さらに実力はパターソンの方が上です。

しかし、新日本プロレスではパワーズを上位に位置付けていますがこれは致し方無いところでしょう。

アメリカのロサンゼルス地区は、力道山の時代から日本プロレスとは密接な関係にありました。

ロサンゼルスにあったWWA(旧名NAWA)は力道山が62年3月28日フレッド・ブラッシーを破り王者となる等、日本プロレスが長年に亘りビジネスパートナーとして協力なパイプを構築して来ました。

68年にWWAが経営不振から消滅(当時はNWAに吸収合併された、と報じられたが誤りでNWAは団体ではなくカルテル)以降はマイク・ラーベルが興行を開催。日本プロレスとの関係も継続されました。

権威つけの為に馬場のインターナショナル王座の海外での防衛戦を初めて行ったのも、日本プロレスとNETの要請により猪木にユナイテッド・ナショナル王座のベルトを巻かせたのもロサンゼルスのリングでした。

73年4月に日本プロレスが崩壊し、大木金太郎以下所属選手は馬場の全日本プロレスへ。

3月30日迄放送していたNETの日本プロレスの中継は猪木、坂口が揃った新日本へ鞍替え。

日本プロレスOBでNETの解説をしていた遠藤幸吉は日プロの役員でもあり芳の里社長と共にまだNWAのメンバーでもありました。

日本プロレス時代猪木派だった遠藤は団体が崩壊したからとは言え、さすがに馬場の全日本の仕事をする訳にもいかず、引き続き新日本プロレスになってからのワールドプロレスリングの解説者の仕事をもらうことを条件に、旧知のラーベルに働きかけ、新日本とロサンゼルスのパイプをつなぐ仕事をしました。

72年3月に旗揚げした新日本プロレスはテレビ中継もなく資金も潤沢でない状況で外国人招聘に関してもカール・ゴッチが窓口だったことから著名な選手は呼べず。

NETの放送が開始され毎週放映権料の収入が入り軌道に乗りかけた時期でもありました。

北米タッグ王座は新日本が遠藤を窓口にラーベルに働きかけて作ったタイトルでいずれは新日本の管理下に置く計画でした。

何故シングルのベルトよりタッグタイトルを先に作ったのか?という疑問が生じますが、これはパワーズが新日本にNWF世界ヘビー級王座を「売却」する話が既に同時進行していたから、と推測出来ます。
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