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2015年06月21日17:46

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猪木とビンス(296)

新日本プロレス83年ラストを飾る「第4回MSGタッグ・リーグ戦」は11月18日、後楽園ホールで開幕。

新日本とWWFの関係悪化が噂されていた時期であり、当初はIWGPタッグ・リーグ戦として開催される案もありました(同名称はこれから2年後に使用された)が、結局はMSGの名称を継続使用しファンを安心させました。

参加チームは前年度優勝チームの猪木、ハルク・ホーガン組、前年度準優勝チームのキラー・カーン、タイガー戸口組、アンドレ・ザ・ジャイアント、スウェード・ハンセン組、ディック・マードック、アドリアン・アドニス組、坂口征二、木村健吾組、藤波辰巳、前田日明組、ボビー・ダンカン、カート・ヘニング組、オットー・ワンツ、ウェイン・ブリッジ組の9チーム。

この年は得点が過去3回とは若干異なりました。

○勝ち=5点、☆リングアウト勝ち=4点、◇反則勝ち=3点、□不戦勝=5点、△引き分け=3・5点、●★■◆あらゆる負け=0点となりました。

反則勝ちより引き分けの方が得点が高いという意味不明なスコアリングで、不戦勝はその時によって4点だったり5点だったりしますが、この年は5点を採用。

全9チームが上記ルールにより総当たりリーグ戦で対戦、上位2チームが12月8日、蔵前国技館で優勝決定戦で対戦することになりました。

前年度優勝の猪木、ホーガン組ですが、前年度は糖尿病で体力の落ちた猪木をホーガンがカバーするという意味合いでしたが、この年は6月2日、蔵前国技館におけるIWGP優勝決定戦の猪木舌出し失神事件の後だけに果たしてチームとして成立するかが注目されました。

前年度準優勝のカーン、戸口組は戸口がWWFで活躍したことにより共にWWFでのトップを経験しスケールを増しての参加となりました。

アンドレのパートナーとなるSWハンセンはこの時既に49歳の大ベテランで2年連続参加だったレネ・グレイに代わってのエントリーになりました。

60年代にはリップ・ホークとの泥棒コンビ(ベルト泥棒の意)として全米を荒らしたタッグの専門家であり、67年に日本プロレス、77年に全日本プロレスに来日、新日本プロレス初登場となりました。

マードック、アドニスのスーパー・バイオレンス・コンビは7月のサマー・ファイト・シリーズ以来の参加。安定したレベルの高い試合ぶりは新日本ファンの評価も高かったです。

日本側は坂口、木村健吾組は81年の第2回大会より2年ぶり2度目のチーム編成での参加。

藤波は前田と組んでの参加。若い前田をコントロールして引き出しを開けさせるかが注目でした。

話題を集めたのは長州、浜口組の維新軍の参加でした。長州は第1回は星野勘太郎、第2回は谷津嘉章と組んでの参加。前年は藤波に対して牙を剥いた直後であり、心の師、マサ齋藤を頼ってWWFに行っており、軍団の長としての参加は初めてであり、上位に食い込み事は勿論の事、優勝戦線に残ることも義務付けられました。

ダンカンは81年5月の第4回MSGシリーズ以来2年半ぶりの新日本参戦となりました。

ダンカンのパートナーであるカート・ヘニングはラリー・ヘニングの息子であり、後にAWA世界ヘビー級王者となった他、ミスター・パーフェクトとしてWWF、WCWでスーパースターとなりましたがこの時はまだ25歳の若手であり、線が細かったです。

ヨーロッパ代表のワンツ、ブリッジ組ですが、ワンツは5月のIWGPに来日しながらも5月10日、仙台での猪木戦で足を負傷して途中帰国。

パートナーのブリッジも、前年の第3回大会にヤング・サムソンと組んでエントリーし、来日はしましたが、身内の不幸で1試合やったのみで帰国しており、捲土重来を期しての来日となりました。


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