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2015年06月14日22:01

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猪木とビンス(293)

新日本プロレス83年闘魂シリーズ最終戦、11月3日、蔵前国技館大会は超満員13000人発表の観客を動員しました。

組まれたのは正規軍vs維新軍の4対4綱引きシングルマッチ。

これは双方の出場選手が試合前に観客の前でリング上に置かれている上からシートで被われた綱引き用の綱を一斉に引いて
組み合わせを決めるやり方で、対戦カードはその結果で決まります。

出場選手は正規軍が猪木、坂口、藤波、前田。維新軍が長州、浜口、カーン、谷津。

共にリングを挟んで反対側に向き合い、司会進行役の古舘伊知郎アナウンサーの合図により綱引きがスタート。

組み合わせは一瞬にして決まり、対抗戦第1試合が坂口vs浜口、第2試合が前田vs長州、第3試合が藤波vsカーン、第4試合が猪木vs谷津となりました。

この綱引きによる抽選で対戦カードを決めるマッチメークはその後色々な団体で模倣されアレンジされて使われました。

対抗戦第1試合は副将同士の坂口と浜口の対戦で両雄はシングルでは初対決、体格で勝る坂口が浜口をパワーで圧倒、当時は滅多に使わなくなっていたブレーンバスターまで見せましたが、巧みに場外へ浜口に引き込まれ、勢い余って浜口をフェンス越しに投げてしまい、8分11秒坂口の反則負けとなりました。

浜口は貴重な1勝を正規軍から奪っています。

対抗戦第2試合はその後の両者の因縁を考えると非常に感慨深くなる前田と長州の一騎討ち。

当時はまだ実力差は存在し、前田もリキラリアットをかわしてフライング・ネックブリーカードロップを決めさらにフライングニールキック。

長州はバックドロップからサソリ固め。必死に耐え抜く前田、長州は一旦サソリを自ら解くとリキラリアットからもう一度サソリ固め。

リング中央でガッチリ決まり、もはや逃れる術は前田にはありませんでしたが前田はギブアップせず。試合続行不可能と判断したレフェリーのミスター高橋が試合終了のゴングを要請。

12分57秒、レフェリーストップにより長州の勝利に終わりました。維新軍は2勝目をあげました。

対抗戦第3試合は藤波とカーンの対戦。両者は82年3月26日、広島県立体育館で第5回MSGシリーズ公式戦で対戦し30分時間切れ引き分け。

日本プロレス時代70年同時入門の同期の両者、中卒で入門した藤波と大相撲を経て入門したカーン(小沢正志)は年齢は6歳の開きがありましたが、合宿所で苦楽を共にした間柄です。

新日本に先に旗揚げメンバーとして入ったのが藤波でカーンはそれから1年後、坂口に連れられて新日本に入団、74年に行われた若手の登竜門、第1回カール・ゴッチ杯争奪戦での決勝はこの二人の対戦(12月8日、刈谷市体育館)となり藤波が勝って優勝。

西ドイツ(当時)修行の切符を手に入れました。準優勝のカーンもメキシコに修行に出て、両者はWWFのリングでスターとなりメインイベンターとなりました。

試合は藤波がドロップキック、足4の字固めで先制しますがカーンも河津落としからアルバトロス殺法と言われたダイビング・ダブルニードロップ。

藤波はカウント2でこれをクリア、カーンはとどめの2発目のダイビング・ニーを狙うべくトップロープへ。

それを見ていた藤波はコーナーにかけ上がって雪崩式ブレーンバスター。

試合はそのまま場外戦となり14分14秒に両者リングアウトの引き分け。

この時点で2敗1分の正規軍の負け越しが決まりました。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月14日 22:54
    この試合はテレビ観戦して燃えましたね。テレビでは坂口対浜口が後日放送だったはず。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月14日 22:57
    > mixiユーザー そうです。次回に書く予定のコブラとスミスの試合と併せて翌週廻しになりました。

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