mixiユーザー(id:2118534)

2016年01月01日16:43

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そもそも9条は本当に戦争抑止能力があるのか?

私達は義務教育のころから「9条によって日本は戦争と一切関わらなくて済むようにしっかりと守られている」と思い込まされてきたけど、それは国民がそのように思い込むことが好都合だから作ったプロパガンダにすぎず、本当は「9条が日本を戦争から守った」試しなど一度もないのだろう。
日本が戦争や軍事行動に直接参加しなかったのは単に国際情勢の関係で(主に戦勝国の思惑で)日本が軍事行動から遠ざけられていただけという感じ。この国の憲法自体が戦勝国とその利権周辺の思惑で作り上げられた都合のよい使い捨てのプロパガンダでしかなかったのかもしれない。

そして国際情勢も国際社会の思惑も大きく変わった現在、かつてのプロパガンダとして作られた憲法はもはや用済みになり、次の新しい思惑で日本という駒を動かし始める流れを感じる(妄想)。要するに、日本に9条というプロパガンダを施した側から見れば思惑一つで憲法どころか日本という国自体を簡単に変えることができるのかもしれない。
今も昔も、この国は国民とは異なる思惑で動かされてきたっぽい(陰謀脳)。

対米従属利権維持のために軍産複合体と接近し政権を誘導している霞が関。軍産複合体利権による英米一極覇権時代の経済的非効率を厭い、BRICSによる多極覇権時代へと世界を変えたい「多極派」が軍産複合体よりも優勢になり、今まで「世界の警察」としてやって来たことの一部を日本(ポチ)に肩代わりさせたいアメリカ・・・相反する両者の思惑が一致した結果が日本の改憲の舞台裏にはあるのだろうか?
軍産複合体優勢時代に世界の警察アメリカがやってたこと(=軍産複合体のための公共事業)を日本が肩代わりすると、その分だけ軍需ビジネス(別名戦争ビジネス)の利権が生まれる。既に経団連やパソナがその利権に参入済みだ。格差の拡大もそういう利権には好都合である。

やがて「利権のための公共事業で人が死ぬ」という現象がこの国でも起きるのかもしれない。そのとき生じる死者を、利権の世界は黒部ダム建設の時に出た死者やリニアのトンネル工事で出うる死者と同じ意味にしか認識せず、同じ扱いしかしないだろう。工事の事故死も殺し合いによる戦死も「公共事業の際に想定しうる人的損害」という点では同じだ。
公共事業で栄える側は勝ち組で、公共事業で死ぬ側は負け組。勝ち組は負け組の命と人生を消費して繁栄する・・・

戦争の原因の一つである利己的な弱肉強食心理の闇から目を背けている限り、戦争はなくなるまい。9条は自分達の中にあるその闇を忌み嫌い目を背けてお花畑に現実逃避するための道具にしかなってこなかった可能性もある。
誰の中にもあの闇はある。もちろん政財界にもある。経団連やパソナにも当然ある。あの闇はこの国で戦争や紛争という形をとらなかっただけで、今までにいくらでもどんな現場でも醜い争いや悲劇的展開を引き起こしてきたものだ。

9条という共同幻想が単なる現実逃避に過ぎないのなら、今度こそ本当に日本を無駄な戦争(無駄な公共事業)に巻き込ませないために知恵を働かせた方がいいんじゃないか?
国民達が己の中に潜む利己的な弱肉強食心理の闇と向き合い、自分自身や判断力を己の闇に支配させないことがこの国を守る。
それに必要な能力は闘争心とは異なるタイプの勇気だ。自分と向き合い自分の闇に光を当て、自分の闇を救う(せめて悪化させない)ための方法を探ってみることだ。
それがこの国を守る開運法になるかもしれない。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3785271
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