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2020年05月25日23:38

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貨幣とは

「貨幣とは人間と人間の関係である」

貨幣とは、債務と債権の記録、
貸借関係です。と、繰り返しています。

債務と債権の記録である以上、
「借りる人、貸す人」の両者がいなければ、
貨幣は成り立たない。

つまりは、貨幣とは「二人以上の人間」が
いなければ、成立しない。

厳密には「二つ以上の経済主体」の
関係として成立するのが、貨幣です。

貸借関係こそが、貨幣である。
ということで、例えば、
「借り手が銀行からおカネを借りれば、
 銀行の負債としての貨幣(銀行預金)が
 発行される」

「市中銀行が日本銀行に政府の
 「借用証書」である国債を持ち込むと、
 日銀の負債としての貨幣(日銀当座預金)
 が発行される」

「市中銀行が日銀の負債である
 日銀当座預金を返還すると、
 日銀の負債としての貨幣(現金紙幣)が
 発行される」

と、全ての貨幣は「貸借関係」が
成立するか、あるいは移動する
(変な表現ですが)ことで
発行されているわけでございます。

実は、似たようなことが
「権利」にもいえます。

権利とは、別に人間が生まれながらにして
保有しているわけではありません。

貨幣が「神様が与えてくれた個別の財産」
ではないのと同じです。

権利とは、我々が所属する「共同体」が、
我々に「認めてくれている」
資格に過ぎません。

つまりは、共同体がないところに、
権利は存在し得ないのです。

(何度か書いていますが、
 カリブ海の無人島に漂着した
 ロビンソン・クルーソーには、
 何の権利もありません)

貨幣にしても、権利にしても、
同じく「人間の関係」つまりは
共同体の産物なのでございますよ。

例えば、複数の人間がいたとしても、
言語がバラバラで
「コミュニケーションが成り立たない」
場合は、貨幣も権利も生じ得ません。

理由は、コミュニケーションが取れないと、
「人間と人間の関係」が成立しないためです。
 
関係が成立しない以上、
「誰かの負債(債務)であり、
 誰かの資産(債権)である貨幣」も、
「他の誰かが自分に認めてくれた権利」
も、共に存在し得ないことになってしまいます。

結局のところ、貨幣や権利に関する
我々の誤解、あるいは誤謬の修正は、

「お前たち人間は、
 互いの関係性がなければ、
 経済も社会生活も成り立たせることは
 できないんだよ」

という現実を突きつけられている
という話なのでしょう。
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