mixiユーザー(id:20917114)

2020年04月05日17:24

87 view

メモ1

 森

8世紀に成立した日本書紀にスサノヲが息子と娘と(二柱は日本の樵・木次子の守り神で紀州伊太祁曽神社の御祭神)で全国へ樹木の種を蒔いて歩く話がある。其の話は『社は檜。船は楠。柩は高野槇』と用途別の樹種を指定して終る。
列島では8世紀の遥か以前から植林が行われていた。永い経験の積み重ねがなければ用途に適した樹木の使用指示等行われる訳がない。

縄文遺跡の周囲から大量な栗花粉が見つかる。食料の安定供給の為、居住地の周りに栗の木を植えたのだろう。縄文の住居は殆どが栗材で立ててある。若木との植え替えに、成りの落ちた老木の伐採後の二次利用と思われる。
列島では五千年前には植林=林業が成立していた。食料を管理生産しているのだから、個人的には樹木農業と呼ぶべき形態と思っている。

キなのかコ(木霊・木漏れ日・木陰)なのかク(久久能智神)なのか木の古い音は不明だが、此の歴史の経過から生まれた言葉が『ハヤシ(林)』と『モリ(森)』なのだと思う。

栗の木を生やし(林)て守り(森)続けると子々孫々に渡り喰える。←此の喰えるサイクルが『ククノチ』なのでは?

5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する