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2021年02月16日08:06

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ドイツ零年

『ドイツ零年(Germania anno zero)』イタリア1948年公開、Rロッセリーニ監督、Eメシュケ、E.P.ヒンツ、ら。
ロッセリーニ三部作の三本目をレンタル、ドイツ人の台詞をイタリア語吹き替え、字幕は日本語。廃墟となったベルリンで12歳の少年が生き続けようと奮闘したものの、「、、イデオロギーの変更は犯罪と狂気を創り出す。それは子供の純真な心までも」というプロローグそのものの結末を迎える、という悲しい物語。
ナチ党員であったドイツ人、ナチを支持していたドイツ人、ナチに反対していたドイツ人、、、戦前戦中戦後を問わず自身のイデオロギーを明らかにして生きる人間とそうでない人間がいたはずですが、現在でもそうでしょう、国の如何を問わず。病床で咳き込みながら「家族に迷惑を掛けるのが忍びない、死にたい」「死んだらお前達の邪魔にならない」「この大戦中は第三帝国の崩壊だけを願っていた」と繰り返す父親を抱えながら、元ナチ党員である事がばれないかと恐れながら自宅に引き籠り続ける兄を尻目に、姉は水商売、12歳少年エドモンドは家計を助ける為に必死になって日銭を稼ごうと悪戦苦闘。エドモンドが街で再会した嘗て小学校担任だった元ナチ教師エニングは、今はヒトラー演説が録音されたレコードを、ヒトラーとエヴァの自決場所近くで闇で連合軍に売り捌きながら生活、性的に倒錯している人間である事を示唆しながらも「自分が生き残る為には、弱い者は強い者に滅ぼされるしかない」とエドモンドに諭します。これが少年に対するナチ思想の吹き込み、と解説されたりしていますが、この辺りが未だよく理解出来ていないのです。ナチ思想でなくとも、戦後の混乱期、飢えを凌ぎ、生き延びて行く為には綺麗事だけでは済まない、道徳や倫理をかなぐり捨てて空腹を満たそうとする本能を優先させた人間を何処まで責める事が出来るのか、という自問自答が避けられないからです。父親思いだった息子に毒を盛られて命を奪われた父親、そして世の中や大人の言葉に翻弄され梯子を外された形で命果てた少年に同情します。腹を空かせた動物が本能のまま襲いかかるように、腹を空かせた人間が心の余裕を失う事の恐ろしさに直面させられます。「世の中で一番恐ろしいのは、飢え、である。飢えを体験した事のない人間は、餓えの恐ろしさが理解出来ない。」と話していた人がいましたが、これは体験しないと決して分からない世界なんでしょうね。しかし、恐ろしい程にこの少年エドモンドの無表情な能面は何なのでしょうか。
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