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2021年02月01日07:30

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無防備都市

『無防備都市(Roma città aperta)』イタリア1945年制作公開、Rロッセリーニ監督、Aマニャーニ、Aファブリッツィ、ら。
本作品を観たバーグマンがロッセリーニに手紙を書いた事がスキャンダルへの引き金となり『ストロンボリ(1950年公開)』製作に至った、という背景を知った以上、本作品を早速鑑賞せずにはおれませんでした。独軍に支配されたローマで医者と聖職者以外は17:00以降夜間外出禁止という制限の中、レジスタンス活動継続に必要な資金運搬を依頼した
共産党員 国民解放委員会幹部マンフレーディ(Mパリエーロ)、引き受けたピエトロ神父(Aファブリッツィ)、匿った者、それぞれの悲運を嘆き叫ぶ、このような製作手法がネオリアリズムと呼ばれたのか、と私は受け止めました。日独伊の中でいち早く白旗を上げたイタリアを取り巻く複雑な状況はあまり知られていないと思いますし、先の大戦を連合国vs日独という構図で眺めてしまう事が多い私もイタリアの歴史についてはこれまで疎過ぎました。同盟国であった筈のドイツに祖国が屈辱的にも占領された中で抵抗を続けるレジスタンス、子供達や神父らを含むイタリア人達の意思が如何に固いものであったか、をロッセリーニは必死で伝えようとしたのだと思います。独軍がやって来てから勤めていた兵器工場を解雇されたり、生意気な妹で女優のマリーナ(マリア・ミーキ)との喧嘩や、不穏な世の中に取り巻く人間関係や生活苦に疲労困憊した寡婦ピーナ(アンナ・マニャーニ)、どんなに気丈に頑張って生きていても「私、もう疲れてしまったの」と新たな結婚相手である印刷工フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)に涙ぐむ女性の姿を晒け出すアンナ・マニャーニ、延期されていた結婚式が細やか乍らも漸く実現しようとした当日朝、フランチェスコがドイツ軍に連行されてしまいます。泣き叫びながら新たな夫を追い掛けるアンナ・マニャーニに銃弾を浴びせる独軍、倒れた母親アンナ・マニャーニに覆い被さって抱き起こそうとする狂わんばかりの幼い息子マルチェロ(ヴィト・アニチアリコ)を慰める神父(アルド・ファブリーツィ)、、、映画中盤で胸が締め付けられるシーンの連続でした。ゲシュタポ婦人部員イングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)の陰謀で同性愛と麻薬中毒に陥らされたマリーナは結果的に恋人のマンフレーディを売る事に荷担させられてしまう残酷さに、観ているこちら側が固まってしまい。。。捕まった神父とマンフレーデ達、神父の目前でマンフレーデ拷問命令を出し途中経過を報告しながら「拷問に耐えたら支配民族のドイツ人と同じだと思ってイタリア人を見直す」と豪語するゲシュタポ少佐ベルグマン(ハリー・ファウスト)に対して「皆同じだ、この戦争は憎悪を生む」と酔っぱらいながら本音を覗かせる独人将校の表情にも「好きでやっているんではなく、仕事で命令されているから仕方なく」という複雑な表情をカメラは映し出していたと思います。最後まで口を割らないまま拷問に耐え抜いたマンフレーデが息絶えた後に祈りを捧げた神父、今度は自らがサン・ピエトロ寺院の見える丘に連れ出され、「彼らを赦したまえ」と言いながら銃殺され、その現場を見続けていた少年達が黙々と刑場から立ち去るシーンで映画は終わりました。仲間の拷問を目を逸らさずにしっかりと見届けた神父、神父が処刑される一部始終をしっかりと見届けた少年達、、、目を背けたくとも見るべきものはしっかりと両眼を開けて見届けて後世に伝えなければならない、とのロッセリーニからの重い重い伝言を受け止め切れるだろうか、と身震いしました。「立派に死ぬことは難しい事では無い、立派に生きる事が難しいのだ」と神父の残した重い言葉、、、。しかし、ゲシュタポで拷問側の悪役二人の男女名がベルグマンとイングリットというのは何たる奇跡なのでしょう。ロッセリーニのネオリアリズム三部作と呼ばれる『無防備都市』『戦火のかなた』『ドイツ零年』は私の中で必見となりましたが、史実と想像と創作がどのように織り込まれているかについて当時のイングリッド ・バーグマンが何処迄知り得ていたのか、どんな手紙をロッセリーニに記したのか、益々気になっているところです。
因みにイタリア近代史を少しネットから摘まみ食いしてみますね、、、、、、、
1943年1月24日の英米首脳によるカサブランカ会談で枢軸国(日独伊)との和平交渉を認めず無条件降伏に持ち込む、という大方針が示され、後の1945年2月4日からのヤルタ会談で日独の運命が決められた、という背景に流れます。そんな中で1943年8月1日にヒトラーがイタリア占領作戦アッシェ作戦を承認する一方で、ムッソリーニに代わったバドリオ政府によるローマの「無防備都市宣言」案が連合国側によって授権確認されたのが9月3日。9月8日にイタリア王国による枢軸国からの離脱降伏直後に、独軍によるイタリア半島及びその他のイタリア支配圏(アルバニア王国、モンテネグロ王国、マケドニア公国、フランス南部一部)の即時制圧、独傀儡のイタリア社会共和国成立、、と、ムッソリーニは連合国側とヒトラーの間で翻弄され板挟みになり憔悴し切っていた様子が生々しく。悲惨です。そんな状態でヒトラーからイタリア内での最高権力を奪還するよう強要されたムッソリーニは9月15日に最高権力の回復と共和ファシスト党の成立を宣言しますが、、、10月13日に残存したイタリア王国軍が共同参戦国軍としてドイツに対して宣戦布告、また後日の1945年7月15日には大日本帝国に対して宣戦布告した、、、と。
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