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2020年12月30日12:12

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ドクター・ハック

『ドクター・ハック〜日本の運命を二度にぎった男』中田整一著、平凡社2015年発行を読み終えました。記憶残る内に急いでメモを残したいと思います。
原節子主演『武士の娘/新しき土』は 元はと言えば酒井直衛がハックに持ち掛けたふとした雑談の中から閃いたものだった、と。
1936年2月8日に神戸港に降り立った一行十人(+子供一人)の一人であったアーノルド ファンクが翌日の京都太秦で原節子と運命の出会いのきっかけを作った、ドイツ人スパイのフリードリッヒ・ハック(Friedrich Wilhelm Hack )のお話し。この一行十人の写真はよく目にしますが、それぞれの人生を背負い来日した歴史の証人達、その後の生涯を読み聞きするに非常に感慨深いです。「「新しき土」の真実」著者の瀬川裕司氏によると、ハック、監督ファンク、撮影技師ブーフホルツ、撮影技師アングスト、撮影助手リムル、撮影助手チャーデンツ、女優エヴェラー、編集技師ルートヴィヒ、秘書リユツク、新聞記者ベーツ、との事。ハックは、ドイツ製軍用飛行機や船舶、関連技術の輸入に携わる日本海軍および陸軍のエージェントとして来日、日独合作映画の下打ち合わせ、更にはヒトラーの側近リッベントロップとベルリン日本陸軍駐在武官・大島浩の間で進んでいた外交交渉に関わる密命を帯びていた、と。ナチスドイツと日本を結びつけた十字架を背負い、日米間の終戦工作を担い、女優・原節子誕生にも立ち会った、と。
1936年2月9日、レニ リーフェンシュタール主演の『死の銀嶺』『聖山』『モンブランの嵐山』等を監督したアーノルド ファンクが大阪の朝日会館における講演会でドイツの哲学者Johann Gottlieb Fichteの思想に支えられたドイツ国民との親和性について語った、と。
同年2月10日、ハックを日比谷の帝国ホテルに呼び出したのは東京外大でドイツ語を学んだ海軍省中佐 小島秀雄だった、と。
1941年10月16日、近衛内閣総辞職。
1941年10月18日、東條英機内閣成立。
1941年12月1日、御前会議で米英蘭への武力発動最終決断時には、頼みの綱のドイツがモスクワ近郊で苦戦している情報等を顧慮した形跡はなかった、と。
1942年6月5日(頃)、ミッドウェー海戦大敗で日本の武運が傾いた時、もはや映画『新しき土』の事など人々の口の端に上る事さえもなかった、と。。。
ハックは日本を愛しながら日米終戦和平に心血を注ぎ、絶頂を極める原節子主演の『お嬢さん乾杯』『青い山脈』『晩春』が公開された1949年に、スイス チューリッヒで息を引き取り、故郷のドイツ フライブルグの中央墓地の片隅に葬られたが、「私が死んでも墓も名前も要らない、流浪の旅人となって消え去るだけ、それが私には一番相応しい」との遺言に従いハックの墓には名前は刻まれていない、と。
三国同盟が結ばれる前にハックが間に入って日独両軍部同士で接触させようとしたが、日本外務省は顛末に拘るので役立たず、頭越しにされた、と。昔も今も、外務省とは大事の緊急時に至っては邪魔な存在なのか、、、?
ハックの実兄ウィルヘルムと士官学校時代の仲良かったクラスメートであるカナリスは、第一次大戦直後の若き少佐時代にハックの口利きで神戸の川崎造船に潜水艦技術の指導と情報交換に訪れていたが、アップヴェーアという諜報組織を率いながら30通もの旅券を使って活動を行っていた、ハックもそのメンバーだった、と。
国内外で著者が訪ねた御存命の関係者達の中でも、特に酒井直衛氏と元アーノルド ファンク夫人であるエリザベスさんの記述が興味深いです。「戦争が終わる時、戦争を終わらせる時、その際に交渉が出来る隙間を作っておくように。敵側の中に何らかの連絡方法を予め保持しておく事が必要。」と、その後 何回もチューリッヒで酒井直衛に対して説いたハック。。老人ホームで決して裕福とは言えない余生を過ごすアーノルド ファンク夫人のエリザベスさんは「日本ではリヒアルト ゾルゲから度々言い寄られた」、今 振り返ると、ゾルゲは「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の如く、だったと。。
ハックのフライブルグ時代以来の親友ゲーロー フォン ゲヴェールニッツがハックを追悼して書いた「原爆は本当に必要だったのか」も読むに値しそうです。国の歴史は突然には変わらない、変化の兆しはいつの時代も国民の気づかぬ所に潜んでいる、と。二二六事件という武力によるテロの記憶がトラウマとなり続けて文民統治に支障をきたし、軍部、特に陸軍に対して政府が逆らえないままに独走を許し続けてしまい、ソ連に終戦和平を求めるという愚作に至った決断の誤り繋がってしまった、と。。。どんな歴史書を紐解いても、「情報」の重要性を認識していても、結果として 国家として対策実行出来なかった事実は動かせないと思います。令和の現在でも「情報」への対峙が未熟に見えてしまう国家体系を大いに憂いています。歴史に学び、教訓から学んで行動しようとしない限り、簡単に外国の宣伝や謀略に引きずり込まれてしまうような危うさを感じます。ところで、本著取材時において、映画編集者の岸富美子さんの抜群の記憶力に驚いた、という、あとがきコメントも印象的でした。
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