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2020年12月23日07:50

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霧笛 1952

『霧笛』1952年公開、大佛次郎原作、谷口千吉監督、山口淑子、三船敏郎、ボッブ・ブース、志村喬、左ト全、千石規子、ら。
明治七年、開港直後の横浜外国人居留地で出会った千代吉(三船敏郎)と旗本の娘 お花(山口淑子)の恋愛物語。山口淑子は、身を崩して街で倒れている所を通り掛かったドイツ人(ボッブ・ブース)に助けられ、お姫様同様に囲われた女としてドイツに連れて行かれそうになりますが、三船敏郎を殺して無理矢理ドイツに連れて行こうとするボッブの言いなりになる位なら、舌を噛み切って死ぬとの強い決意を見せたのでボップは遂に三船敏郎を殺す事は出来ませんでした。このシーン、、、本作品で最大の見せ場だったと思います。山口淑子が大きな目でボップを睨み続けながら見せた迫力と「日本の女は舌を噛み切って死ぬ事が出来るのよ」という鬼気迫る台詞に後退りするボップ、、、既に三船敏郎との"純愛"に目覚めていた日本の女はここまで強くなれるのだ、、という説得を試みる様な演出でした。山口淑子が心を許した男が、何と自分の馬丁である三船敏郎であると知った時のボップの悔しそうな表情、プライドを傷付けられ前後を見失った赤鬼の様でした。冒頭で三船敏郎から「羅紗緬」とからかわれた山口淑子は涙を流しますが、「羅紗綿」という台詞、恥ずかしながら鑑賞中はよく理解出来ていませんでした。調べると「羅紗綿」とは、元々は綿羊の事で、日本で専ら外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性の事を指す蔑称で、洋妾とか外妾とも言われる、と。"居留地"は治外法権であり、そこで悪事を働いても日本の警察は簡単には踏み込めない、とよく見聞きしますが、実際にはどうだったのでしょうか? 最後は、朝霧の海を波止場へ漕いで行くボートに三船敏郎と寄り添う山口淑子の姿、というハッピーエンディングでした。先週金曜日に宝町迄駆け付けて本当に良かったです。掘り出し物作品を見つけて得した様な気分でした。因みに、この1952年公開版はリメイクであり、初回版は1934年の村田実監督作品であっ、との事。また、ドイツ人ギムを演じたボップ・ブースは、山口淑子著「李香蘭 私の半生」によると、ドイツ人旦那役を演じる外国人が公募され採用されたのが、占領軍を退役し日本に留まっていたこのボップ・ブースだった、「私はケダモノでした」と日本語で懺悔するシーンで谷口監督から何度直されても「私はクダモノでした」としか発言出来ず、NGと爆笑が続いていた、との事。このボップ氏、その後の『姿三四郎(田中重雄監督1955年)』でリスター役として山村聡らとも共演していますね。また、海外日本文化紹介誌「プレヴィユ」の社長も務めていたんですね。
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