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2020年11月04日07:19

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はばたく映画人生

『はばたく映画人生−満映・東影・日本映画−〈岸富美子インタビュー〉』2010年3月3日せらび書房発行。インタビュアーは田中益三氏。岸富美子さんについては『満映と私(石井妙子著)』で多少なりの知識はあったのですが、先週末に鎌倉川喜多記念館で岸富美子さん御長男と立ち話する機会があり、もう少し知りたいと思い図書館から借りて来ました。戦前日本で3年、満州で7年、中国で8年、戦後日本で22年、映画編集(Edit)をこなされた岸(旧姓 福島)富美子さんは、今年生誕百周年仲間である三船敏郎、原節子、山口淑子(李香蘭)に負けぬ位の年輪を感じさせてくれます。俳優と比べて派手さがない分、映画制作の陰の功労者としても更に関心が高まって然るべきだと思います。先週末の石井妙子さん講演会でも紹介されていましたが、ファンク版『新しき土』で使われた独アスカニア製カメラが満映(衙州映画協会)ではなく後に満映に吸収された満州映画制作所の芥川光蔵が購入し制作した『娘々廟会(1940)』、『逞しき草原(1941)』、『蘇満国境確定(1941)』という三本の映画が興味深いです。終焉した満映に残されたと言われる約600本のフィルムの行方、岸富美子さんの師匠であった坂根田鶴子とアリス ルードヴィッヒという二人の女性、香港に渡り賀蘭山という名で幾つかのブリースリー作品も撮影した西本正の存在、等に改めて想いを馳せました。1948年夏、北朝鮮平壌へ派遣されて映画技術協力に従事したが諸事情で短期間滞在の後に中国に戻らざるを得なかった事もあった、と。福島宏という兄、岸寛身という夫と共に満州で映画制作に従事した岸富美子さんは、1946年○月28日に長女 真理を出産、『白毛女』の編集に取り掛かったのは1950年4月に長男 秀一を出産 した直後であった、と。1953年4月11日に祖国日本に引き揚げ、夫と共に本籍があった東京へ移動、日本の住宅団地の先駆けで引き揚げ者受け入れにも熱心だった清瀬村に住まいを構え、亡くなられる2019年5月まで清瀬市民であった、との事。そんな岸富美子さんの御長男と先週末に会話する機会があり、且つ今は清瀬市で仕事をしているので岸富美子さんに対する関心が更に高まっているところです。映画人墓碑の会が毎年4月29日に墨田区の隅田山多聞寺で合葬を行っているという事も知りました。余談ながら、せらび書房という出版社が近所の三鷹市新川にあったとは。
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