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2020年07月22日19:06

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日本の夜と霧

『日本の夜と霧』1960年公開、大島渚監督、桑野みゆき、津川雅彦、渡辺文雄、芥川比呂志、小山明子、速水一郎、ら。
この作品、何の事情も知らないままに観てしまうと、度々の台詞噛みを撮り直しもせずに撮影続行してそのまま編集→配給→公開してしまった失敗作やん、と捉えかねません。「急いで」撮影を終えてしまわなければならなかった事情があったのですね。推測ながら、お上 or 社会vs松竹芸能vs大島渚、の異常なる緊迫感が満ち溢れていたと感じました。私もこんな作品は初めて観ました。逮捕状が出る中、1960年安保闘争が切っ掛けで結ばれた新聞記者(渡辺文雄)と学生(桑野みゆき)の結婚披露宴をぶち壊しに来た津川雅彦は殆ど台詞噛まずにいましたが、無垢で青過ぎるままに突っ走る青い青い青年を表現していました。「学生時代の過ちをスターリン事件やハンガリー動乱を通じて学んだ」とか「(学生運動に勤しむ)学生達は憐れなピエロに過ぎない」とか「学業優秀でなければ学生運動をする意味もない」とか、様々な緊張感溢れる言葉が飛び交います。日本共産党の責任を認めない旧世代学生運動家OB vs 党を批判する新世代という激しい応酬、破防法反対闘争、安保闘争、総括、前衛、指導者、等々について生々しく語り続けなかまら、語りそのものに酔いしれてしまい制御困難なインテリ集いと貸した披露宴と成り果てます。もはや娯楽とは離れた世界に位置する作品でした。戦後の左翼運動がどんなであったか、これ迄も何度となく見聞きし読んだりしましたが、カラー映像の生々しさを撮り直し無しの緊張感が輪をかけていたようで。松竹は封切から4日で上映を打ち切り、大島渚は抗議し契約違約金を払って翌年に松竹を退社した、と。本作品で結婚披露宴司会をしていた夫婦妻役の小山明子が実際に大島渚と挙げた結婚式では、挨拶をした大庭秀雄監督に対して上映中止に対する抗議が相次いで総決起集会と化し、大島渚が松竹と正面から戦うと宣言した、そうな。凄い話ですね。まだまだこういう世代が日本社会の中枢にいるんでしょうね。改定日米安保条約発効が1960年6月23日→本作品公開が同年10月9日→日本社会党浅沼稲次郎暗殺事件が同年10月12日。。この時間軸は頭に入れて鑑賞した方がいいと思います。大島渚が本当に何を考えていたのか、いるのか、不勉強ですが、日米安保条約改定反対運動に関わった人々を批判的な視点で作った作品、と私は(も)理解しているところです。「夜と霧」というタイトル、ナチスドイツ時代も調べ直そうとさせられる、意味深な言葉です。
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