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2019年12月10日16:19

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原節子 路傍の石

『路傍の石』1960年5月公開版、鎌倉川喜多映画記念館にて。山本有三原作、新藤兼人脚色、久松静児監督、原節子、太田博之、三橋達也、山茶花究、森繁久彌、ら。
まだ観ぬ原節子をどうしても観たく鎌倉まで駆け付けました。鼻息荒く、原節子、極端に言えば原節子だけの一挙手一投足は見逃すまい、そんな気合いを込めて川喜多映画記念館に乗り込んだのです。映画『路傍の石』については、これまで田坂具隆監督1938年度版(滝花久子)、原研吉監督1955年度版(山田五十鈴)、家城巳代治監督1964年度版(淡島千景)の三本は鑑賞していたのですが、これで漸く願いの一つが叶いました。小学六年生の愛川吾一を演じる太田博之も他の三本同様にそつなく役をこなしていますが、原節子演じる母おれんが橋を渡る登場シーン、40歳の原節子が女優人生を締め括る二年前の仕事だと思うに観る目が引き締まりました。戸外でのロケなのか、晴天の下で着物姿で歩く原節子は色が白く、母親役としても年季充分、自信に満ち溢れていました。旦那(森繁久彌)を庇いながらも直向きに封筒作りの内職に励み続ける母おれん(原節子)を助けようとする吾一(太田博之)には涙が零れてしまいますが、一人息子には立派に育って欲しいと願いながらも経済的に中学に入学させる事が出来ない不憫さに悲しむ原節子の涙顔は作品の数ヵ所で拝む事が出来ます。原節子の涙顔はこれまで何回も観て来ましたが、本作品中でここ迄に自然な表情に昇華されていたのかと驚きました。一方で息子に人の道を教え諭そうと厳しい表情を作る原節子からは凛として伸びた背筋を感じさせてくれました。心臓病で倒れ、臨終の前に「おとっつぁんは、、ほんとうは、、やさしいひと、、なのよ、、」と最後の力を振り絞りながら吾一に伝え、吾一もこの言葉を受け止めます。力果てる原節子の神々しい姿は息を引き取る直前と直後にも静かにカメラにしっかりと収められています。母親を亡くす瞬間に吾一が見せた原節子の頭を揺り動かすシーン、、これは他の三本にはなかったように思いますが。この母親の遺言があったからこそ、憎みかけていた父親に会おうと決心し、苛められていた奉公先の伊勢屋を辞める決心をつけさせたのだと納得させられました。栃木駅から上野に向かう二等列車の中で、世話になった書店主から貰った手紙に書かれていたのは「だるまさん、だるまさん、足を出して自分の足で歩いてごらん」と吾一の行動を後押しする内容であり、このラストシーンで吾一も母親おれんも観客も救われた気がするのです。フィルム飛びが多いのは事前に聞いていたので苦にはなりませんでした。が、個人的に惜しむらくは同年『ふんどし医者(稲垣浩監督)』でも共演した森繁久彌の不貞腐れた演技(父・庄吾役)が足を引っ張っていたのではないかと敢えて小言を言いたくなりましたが。
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