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2019年10月22日11:03

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プラハの春 上下巻

『プラハの春 上下巻』春江一也著、1997年5月集英社。外交官という立場上、現役であろうとOBであろうと、何処までの情報開示が許されたのか、許されるのか、ストーリーを追う緊張感とは別に、読者である私が心配になる位にドキドキさせられました。ヒトラーが権力を握った1933年1月というタイミングは必ず押さえておかなければならない歴史学習上のポイントである事を何度も認識させられながら読み始めました。人民の沈黙を独裁者は恐れる、という語りに緊張感が増します。1968年3月23日に行われたドレスデン首脳会議にルーマニアのチャウシェスクやユーゴスラビアのチトーらはやはり招待されなかったのか、と妙な納得。ハンガリー動乱が起こった1956年に「十月の春」と呼ばれたポズナン暴動がポーランド西部で起きたのは6月28日であった事、颯爽と人気を博したポーランドの民族主義者ゴムルカが後に保守主義者へ変貌した事、1956年のハンガリー動乱時にソ連軍最高司令官として軍事介入を指揮したコーネフ元帥が12年後のプラハに性懲りもなく再び登場して来た事、等の史実を改めて学習させられました。ナチズムと共産主義は本質においてどれ程の違いがあるのか、と。ソ連軍は突如国境を越えて雪崩れ込んで来たのではなく、その前段階の合同軍事演習という名目で既にチェコスロヴァキア領土に駐留していた、ブラチスラバ6カ国協議の後 一度は撤退していたんですね。1968年7月29日のチェルナ会談が結果的に時間稼ぎされたものであり、8月3日のブラチスラバ6カ国協議が結果的に大いなる誤解を残し撒き散らされた記述には同情と共に落ち込まされます。ブルガリアのジフコフ、ハンガリーのカダール、DDRのウルブリヒト、ポーランドのゴムルカ、、一応 ブレジネフ側の人間同士ながら、それぞれの立場で事情を抱えながらの狐と狸が手を探り合っていた様子が分かります。8月9日になるとユーゴスラビアから英雄チトー大統領がチェコを訪問し熱烈に歓迎される一方、8月12日にはDDRのウルブリヒトによるカルロビ バリへの押し掛け訪問とブレジネフへ密告、ウルブリヒトほどチェコスロヴァキアの人々に忌み嫌われた政治家はいなかった、との対比は鮮烈です。8月15日にはルーマニアのチャウセスクがチェコ訪問しますが、この辺りの突っ込んだ描写はもっと欲しかったのが正直な所でした。ソ連軍部に楯突いたフルシチョフの運命を間近で見て来たブレジネフの板挟みと限られた選択肢、この辺りはブレジネフの人となりをもっと調べたいと思わされます。チェコスロヴァキア周辺で着々と進むワルシャワ条約機構軍による侵攻準備から8月20日における侵攻スタート、目前のチェコスロヴァキアの運命がいつかまた日本の運命となるやらという著者の心配も共有させられました。プラハを制圧した若きソ連軍兵士達とプラハ市民との会話や説得内容が興味深いですし、純粋無垢?であったソ連軍兵士コーリャの自害、、命令で侵攻したものの若いソ連軍人にも様々なドラマがあったよう、ですし、杜撰な兵站でプラハに送り出されたソ連軍少年兵達達は腹を空かせて泣き「何の為にプラハを制圧しているのか?」と自問自答していた、との事。タス通信の報道内容はまさに現在の日本の隣にいる独裁国家の報道を聞かされているような感じです。下巻387ページで、ソ連軍に抵抗するプラハの若者達に対して「安重根にテロ殺害された伊藤博文はさしづめブレジネフのようだ」と呼ばわりする亮介のようだ発言については俄に納得は出来なかったのですが。ナチ占領時代に行われたハイドリッヒ暗殺テロが招いたリジツェ村の悲劇を引き合いに ソ連軍へのテロ攻撃を戒めようとした亮介、テロでは歴史の流れを変える事は出来ない、と若者達に諭す社会人の亮介の訴えはなかなかの説得力でした。モスクワ赤の広場でもチェコスロヴァキアへの軍事介入に反対抗議デモをした人々がいて、女流抒情詩人ナターリア ゴルバネウスカーヤもその一人だった、とは知っておきたい情報でした。モスクワから帰国した8月27のドプチチェクによる報告演説を日本における1945年 8月15日の玉音放送への記憶と重ねた亮介については、著者である春江一也氏の出生と出身状況も押さえておくべきかと思います。中世に火炙り処刑されたヤン フス、プラハの春の中で焼身抗議したヤン パラフ、、辛い事情に沢山向き合わされますが欧州近代史の一ページを知る為には避けては通れない史実の数々です。全体としてチェコの国民性が言語を愛して他の国民性よりも穏健である事、あくまでも平均ではありますが、が分かるような内容です。ミラン クンデラ、カフカ、チャペック、らの偉人を学ぶにもこのようなベースは役に立つような気がします。全体として大国の論理と小国の論理、双方からの光景を出来るだけ描写しようとする姿勢が本作品に窺えました。外務公務員法第七条から外務省員の外国人との婚姻に伴う欠格事由が削除されたのが1996年10月1日だったとも知りました。カトリーナとのランデブーが事実に基づくのか創作なのか、詮索するだけ野暮な事なでしょう。私個人的にはカテリーナの娘であるシルビアのDDRにおけるその後の生活が他人事ではなく気になるのですが。いずれにせよ、読んで良かったです、もっと前に読んでおくべき作品でした。こうなると春江一也著『ベルリンの秋』も読まずにはいられませんね。
ところで、誤植であろう二点に気が付きました。上巻93ページ、スメタナ生誕の日が5月12日と書かれていましたが、これは誤りで正しくは3月2日だと思います。また、上巻399ページ、「十二年、カダールは、」→「十二月、カダールは、」、だと思います。
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