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2019年09月16日13:12

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闇からの谺

『闇からの谺(こだま) 上・下』崔銀姫(チェウニ)&申相玉(シンサンオク)著、文春文庫1989年3月。
大森にある劇場で上映された北朝鮮映画『プルガサリ(1985年制作)』を私が鑑賞したのが確か今から20年位も前。平壌から四時間の黄海道新院という場所で冬の間にかなりのロケが行われていたんですね。申相玉という北に拉致された人の監督作品である事は当時の解説でも記載されていたのですが、その後を情報に近付く事が後回しになったまま時間が過ぎてしまい、やっと読了しました。拉致問題に関心がある人なら誰でも知っているヨルダン人女性、タイ人女性アノーチャさん、マカオからの中国人美女であった孔令嬰さん、らが招待所周辺の散歩中に赤裸々に具体的に照会されています。日本人拉致被害者への言及が一言もなかったのは意図的なのかどうかはわかりませんが。収容所における偽装囚人の存在も不気味です。映画人として各国に知り合いがいる申相玉は東京で二回に渡って新藤兼人と会わされ「金大中拉致事件」の映画化検討をさせられた、絶世の美女と言われた北朝鮮人気女優 禹仁姫(ウ・インヒ)の公開処刑記述も強烈な印象、1970年代の北朝鮮ではチェコスロヴァキアで映画を学ばせる習慣があった、平壌にある映画フィルム保管場所は世界最大規模、等も印象的です。日本では現状鑑賞出来ないとされる小津安二郎や原節子の幻の作品までこの平壌にあるのではないか?、という気にもさせられます。映画はプロパガンダの手段としても使われて来た、また現在でも使われていると見られていますが、社会主義国家同士でフィルム交換会議なるものが毎年行われていた事がよくわかります。国外映画館の映写技師を買収して密かに違法コピーしたり、日本では朝鮮総連がその任務に当たっており、フィルム管理が疎かな松竹や東映の作品までは殆ど平壌に揃っているのに、管理が徹底している東宝の作品はあまりない、という記述にも関心を抱かされました。プラハの靴売り場ではサービスとしてスペア用の踵を数個入れてくれた、という話は初めて聞きました。チェコのバランドフ撮影所が何度も紹介されており、『帰らざる密使』という映画はプラハでたっぷりとロケーションされた映画である事がわかります。今でも御存命の山崎ひろし氏がベオグラードで通訳に登場していたり。中国の長春撮影所(旧満州映画撮影所)も現代映画人の憧れとして紹介されています。チェコのカルロビバリ映画祭で監督賞(この時の申相玉は総指揮、という扱い)を受賞した崔銀姫がイタリアのモニカ ビッティとツーショット、微笑ましい一瞬ではありますが、緊張感隠せず底抜けの笑顔とはなり得ず、と感じました。ハンガリー映画監督コーシャ・フェレンツ、フランス人映画評論家ピエール、日本人映画評論家で東欧映画に詳しいK氏、らとの交流、モスクワ映画祭における栗原小巻と川喜多かしこ女史との時間、等映画会の人脈についても興味がつきません。下巻の後半になると一気に緊張感が増して来ます。申相玉が2度失敗した逃亡劇、もう次はないと心に秘めながら100パーセント成功確実と納得出来ない限りは決行しないと腹を決める様子が更に緊張感を高めています。ウィーンにおける夫婦揃っての出張を絶好の機会と捉え、如何に複数いた北からの監視取り巻きを煙に巻くか。。米国大使館への緊迫の亡命劇描写は体験者にしか書けないような迫力です。1978年 1月14日に香港から北朝鮮に拉致された崔銀姫、その半年後に同様に拉致されてしまった申相玉、北における引き離されたままの二人の生活態度に差はありましたが、1983年3月6日に二人は金正日主催宴会の場で引き合わされ、その後は息を潜めながら亡命決行のチャンスを探り続けていたんですね。1986年3月13日13時15分という瞬間、ウィーンの米国大使館から差し出された薔薇の花一輪と「Welcome to the west!」という言葉、極度の緊張から解放された途端に極度の疲労が襲う生々しさは一体感を持って読者である私まで引き込まれました。着の身着のままの亡命、同じウィーン経由で1989年12月に米国亡命を果たしたナディア コマネチさんの事も思い出されました。亡命を決行して成功する人と失敗する人、亡命したくとも実行に移せない人と移すつもりがない人、独裁政権の下で運命に翻弄される人が多い中、こうやって手記を世に発表出来る人はほんの一握りなのでしょう。崔銀姫と申相玉の二人は、1987年11月30日付けでそれぞれが手記を発表し一冊の本日に纏めた、と。北に残して来たのではなく、北に「捨てて」来た同胞への髪を引かれるような想いは一生続く、監視した数人を除くと皆優しかった、と。申相玉はその後2006年4月11日、ソウルにて死去。崔銀姫は2018年4月16日、ソウルにて死去。御二人共に祖国で旅立つ事が出来て幸せな人生であった、事を祈りたいです。そして、今この瞬間にも亡命を考えている人、亡命出来る機会もないまま独裁政権に苦しめられている沢山の人々が救われますように。
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