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2022年06月01日07:03

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5/29 ジャム・セッション 写真と絵画ーセザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策@アーティゾン美術館

「ジャム・セッション」は石橋財団コレクションと現代美術家の共演。第1回は鴻池朋子(日記はこちら)、2回目は森村泰昌(行かなかった)。そして今回が3回目で、写真家の柴田敏雄と鈴木理策の二人。

前夜HPで日時予約をするかたわら予習がわりに「セクション解説」をさらっと読んだがあまりよく理解できず…汗

そもそも、19世紀、写真の発明によって、絵画は「実物のように描く」という役割を失い、伝統的表現から解放されて、印象派をはじめとして大きな変革が繰り返されてきた。一方、写真もまた、単なる記録目的ではない、美術作品としての価値を見出そうと絵画的な表現が模索され続けている。
つまり、絵画と写真は、その在り方自体が全く違うのだ。それをどうやって結びつけていくのだろう…「予習」で頭を抱えてしまったので、上滑りの鑑賞になるのを覚悟で出かけた。

果たして、これが、理屈なしに面白かった。
柴田敏雄、鈴木理策の写真が、それぞれまるで抽象画や印象派の絵画のようで、石橋財団が有する名画〜藤島武二、モンドリアン、マティス、モネ、クールべ、セザンヌ、カンディンスキーなど〜と見事に響き合っていた。
解説を解せなくても、自然と肌で感じ取れるような展示構成になっていて、写真家二人が名画とどう対峙して、どうセッションしていくのかにドキドキさせられ、ぐいぐいと引き込まれた。
まさに「ジャム・セッション」という新たな試みを行うアーティゾン美術館キュレーターの底力を感じずにはいられないものだった。今年のMyBest10
入り候補だわ。

https://www.artizon.museum/exhibition_sp/shibatasuzuki/
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写真が19世紀に発明され普及し始めた頃と時を同じくして、絵画は印象派をひとつの起点として、それまでの伝統的な表現から大きな変革を繰り返し、そのモチベーションには写真の存在が少なからずありました。他方写真は19世紀半ばの誕生の頃より、美術作品として、記録的な目的ではない絵画的な表現が模索され、その意識はその後も現代に至るまで綿々と続いています。現代の作家、柴田敏雄と鈴木理策の写真作品には、人間がものを見て表現するという、近代絵画に共通する造形思考が感じられます。このたびのジャム・セッションは、両作家がその活動の初期より関心を寄せ続けていたセザンヌの作品を起点に、現代の写真作品と絵画の関係を問う試みです。


1柴田敏雄ーサンプリシテとアブストラクション

柴田敏雄:
1949年東京生まれ。東京芸術大学大学院油画専攻修了後、ベルギーのゲント市王立アカデミー写真科に入り写真を本格的に開始。日本各地のダムやコンクリート壁などの構造物のある風景を撮影してきた。

最初に藤島武二の《日の出》と柴田のダムを切り取った写真が並ぶ。
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「絵画芸術では単純化(サンプリシテ)ということは最も大事なことと信ずる。」と藤島武二がいう。実在の風景を作家の視点によって抽象化(アブストラクション)するという点では、柴田も同じだ。

藤島武二《青富士》
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柴田敏雄
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モンドリアン《砂丘》(右)と柴田敏雄(左)
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まるで抽象画のよう

マティス《コリウール》
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柴田の被写体は、ダムなどの巨大で堅牢で無味乾燥なコンクリート建造物なのに、抽象画のように美しく、不思議、まるでマジックだ。


2鈴木理策ー見ることの存在/生まれ続ける世界

鈴木理策:
1963年和歌山県生まれ。東京綜合写真専門学校研究科卒業。地理的移動と時間的推移の可視化を主題にシークエンスで構成した第一写真集『KUMANO』を1998年に刊行。一貫して「見ること」への問題意識にもとづいた作品発表を重ねてきた。

鈴木は、モネとセザンヌに関心を持ち、実際、彼らが制作した場所を訪れて撮影をし、彼らがそこで何を見て、何を感じ、何を描こうとしたかを考えたという。

最初に鈴木の写真は、モネの睡蓮と並ぶ。
「モネの睡蓮を見る時、視線は画面の中を移動し続け、見ている時間が感じられる」といい、「モネは睡蓮の作品の中において、異なるレイヤーを描き分け、それらをキャンバスという面の上で統合している」として、鈴木はそれをカメラという機械を使って光学的に再現している。
ピントがいくつもあるような、ピントがどこにもないような不思議な写真に、モネが求めた光や空気を感じることができた。
モネ《睡蓮の池》
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鈴木理策
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鈴木はこの有名な場所にも訪れ撮る。
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クールべの作品と鈴木の雪景色のシリーズ
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鈴木理策
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3ポール・セザンヌ

柴田も鈴木も、若い時から強くセザンヌに惹かれたという。
私の大好きなセザンヌを、二人の写真家がそれぞれにリスペクトして、写真表現した作品が並ぶ小さな展示室が、私は最も気に入った。
セザンヌ《サント=ヴィクトワールとシャトー・ノワール》
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左が柴田敏雄
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右が鈴木理策
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4柴田敏雄ーディメンション、フォルムとイマジネーション

フォルムが強調された作品、幾何学的モチーフを扱う柴田の作品。
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カンディンスキーもセザンヌから影響を受けて作品を発展させた画家だ。
カンディンスキー《3本の菩提樹》
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柴田敏雄
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驚いたのは、円空とのセッション。これがすごく良かった。
円空仏の簡素な、つまり、権威もへったくれもないデフォルメされたフォルムに、無機質で武骨なダムのモノクロ写真がマッチする。
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5鈴木理策──絵画を生きたものにすること/交わらない視線

ナビ派の画家ボナールの絵画は、人が外界を見たままの景色を描いている。つまり、全体を均等に見たり、反対に、どこかに焦点を定めたり、をしていない。鈴木のフレーミング、フォーカシングもまさにそうだという。

ボナール《ヴェルノン付近の風景》
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鈴木理策
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ボナール《桃》
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鈴木理策
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もう一つ、面白かったのは、鈴木の連作「Mirror Portrait」。これは自身を見つめる人物をハーフミラー越しに撮影したポートレートシリーズ。つまり、鏡に写って反転した状態のモデルたちがこちらを見つめている作品群で、肖像画と並べてみると面白い。
鈴木理策
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古賀春江《自画像》
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6雪舟

雪舟《四季山水図》
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左が柴田のダムモノクロ写真
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右が鈴木の「White」シリーズ
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日本の水墨画の世界〜風景のスケールだとか、余白の取り方だとか〜に照らし合わせてみると、これもまた面白いセッションといえよう。


アルバムあります。
柴田・鈴木両氏の写真をもっとご紹介したかったので、こちらをどうぞ。https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120558009&owner_id=2083345


同時開催は
「Transfometion 越境から生まれるアート」
「ピカソとミロの版画」
でしたが、本展のみでお腹いっぱい、頭いっぱいになってしまい、日記はなし。こちらも大変見応えあったので、機会があればもう一度行きたい。

「Transfometion 越境から生まれるアート」のアルバムはこちら。https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120557480&owner_id=2083345



7月10日まで


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