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2022年05月17日13:47

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5/15 野田九浦ー〈自然〉なることー@武蔵野市立吉祥寺美術館

野田九浦(のだきゅうほ)、明治〜昭和時代の、歴史人物画を得意とした日本画家である。寺崎廣業に師事し、第1回文展で2席をとって(↓《辻説法》)注目を浴び、夏目漱石の新聞小説の挿絵を描き、北野恒富と大正美術会を結成して大阪画壇の発展にも寄与し、多くの弟子を育てた。帝国芸術院会員、文展・日展の審査員、日本画院同人、画塾煌土社を設立、金沢美術工芸大学教授などの肩書き。狩野探幽研究でも知られ、正岡子規とも交流して俳人としての才能も。
《辻説法》(会場ではこの下図を展示)
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なのに、全くその名も知らなかった。私だけではないはず。忘れ去られた日本画家?晩年、吉祥寺に居を構えたことから、本美術館が多くの作品資料を所蔵しているという。


吉祥寺美術館はいい美術館だが、小さい。比して作品は大きいので展示点数が限られる。途中入れ替えがあってもいいから、もっと多くの作品を紹介してほしかった。そのくらい良い作品だった。
当時は、新しい日本画として朦朧体が脚光を浴びていたが、九浦は古来の描線にこだわったという。たしかに、個性的とは真逆の作風ではあるが、地味ながらも安定の上手さを感じる。府中市美術館の言い方を借りれば「ふつうの系譜」の美しさなのだ。特に、九浦が親しかった、あるいは敬慕した人物像は、淡々と描かれているが、内面をみごとに描き出していて感嘆に値した。

会場は空いている。写真撮影可はロビー展示この1点のみ。
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派手さはないが、とても上手い画家なので、多くの人知ってもらい、後世に伝えて行ってもらいたいと思った。

https://www.musashino.or.jp/museum/1002006/1003349/1003372.html
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野田九浦(のだ・きゅうほ、1879〜1971)は武蔵野市ゆかりの日本画家。幼少期から絵画に秀でた九浦は、10代半ばで日本画家の寺崎廣業(1866〜1919)に入門、その後東京美術学校に進学。同校中退後は日本美術院で研鑽を積むかたわら、正岡子規(1867〜1902)に俳句を学び、白馬会洋画研究所に通ってデッサンの指導をうけたほか、留学を目指して英語やフランス語の習得にも励んだ。
本展は、武蔵野市が所蔵する九浦の作品より約20点を関連資料とあわせて展観、“歴史人物画の名手”という側面にとどまらない九浦の魅力を紹介する。俳句の師・正岡子規から九浦が体得した自然主義を手がかりとしながら、九浦の仕事を通観。《等楊先聖》(1928年)や《江漢画房》(1949年)といった歴史人物画にとどまらず、恩師の姿を描いた《山荘における廣業先生》(1938年)や《獺祭書屋》(1951年)、愛猫と過ごす自身の姿を描いた《K氏愛猫》(1954年)、旅先の風景を描いた《湯元》(1935年頃)、異色の大作《雲上図[仮称]》(1910年代頃、六曲一双、本展初公開)など、多彩な作品を紹介する。
2021年11月、九浦は没後50年をむかえた。そして、2022年は吉祥寺美術館開館20年の節目にあたる。武蔵野市史を振り返れば、美術館構想の端緒となったのは野田九浦の作品群であった。九浦の存在によって吉祥寺美術館の現在があるといっても過言ではない。稀なる日本画家・野田九浦の仕事に触れるとともに、この時代を生きる私たちの在りようを見つめ直す機会となってほしい。


《K氏愛猫》1954年
入口を飾る絵。K氏とあるが、九浦本人。膝に猫を立たせるあたり、手慣れた猫飼いらしさ。
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実際、こんな写真もある。手前の鉢がいい。
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《「阪神名所図会」より》1917年
阪神電鉄沿線の風景を画家数人で分担して描く。彩色木版。構図に浮世絵の伝統が垣間見える。
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《等楊先聖》1928年
雪舟に二羽の八哥鳥。あわい彩色に、二羽の八哥鳥と雪舟の袈裟の黒が効く。
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《河霞む》1936年
平壌にて。窓の外は大同江。霞む川の様子と遠くの山並みが美しい
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《山荘における廣業先生》1938年
画像なし。籐椅子に座る師寺崎廣業。元々は、左右に白樺などを描いた合計3面の作品だが、左右の絵は行方不明。繊細な線描と淡い色彩に恩師への追慕をかんじる。比して手前の竜胆の花がくっきりきれい。

《雲上図(仮称)》1910〜20年代頃
画像なし。六曲一双の紙本屏風。右隻は、輿に担がれた神官らしき人、担ぎ手も神官の装い。左隻は、荒馬に乗る日本武尊のような人、どちらも雲に乗っているから地上の人ではないらしい。
静岡の平林家旧蔵のもので、大井神社大祭の時平林家が勤めた休憩所に使われていたという。
九浦の作品は胡粉が美しいなぁ。

《江漢画房》1949年
司馬江漢が銅版画を製作しているところ。習作と背中合わせに展示されていて、小物の配置など違って見比べるのも面白い。
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《夏の川》1950年代頃
鵜飼といえば川合玉堂だが、九浦のもいいなぁ。
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《獺祭書屋》1951年
正岡子規。九浦が入門したときは既に病床にあったという。枕に肘をついて体を斜めにしているけれど、目線は鋭く気迫がこもっている。俳優遠藤憲一に似ていると思ったのは内緒。窓の外には葉鶏頭。
九浦の句「下駄を干す下宿の庭や葉鶏頭」
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芭蕉と弟子の凡兆と去来を描いた《猿蓑選者》や宝井其角を描いた《晋其角》もよかった。人物がいい。

《白富士》1960年代頃
これまでと違って、輪郭線も朧げでフワッとした描き方だが、優しい色使いがホッとできる。霊峰富士ではなく、ふじさんの感じが好き。
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併設の浜口陽三記念室「悠久のとき」から
浜口陽三《貝》
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萩原英雄記念室「無垢な表現」から
萩原英雄《パラシュートの天使》
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吉祥寺美術館では、版画家浜口陽三と萩原英雄の展示室もあり、そこではアートの椅子に寛ぐこともできる。お得感あり。

いずれも6月5日まで

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