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2020年11月23日11:18

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11/22 ベルナール・ビュフェ回顧展@Bunkamuraザ・ミュージアム


さくら☆さんにいただいたチケットの期限が今月一杯。

コロナ感染第3波到来で3連休は慎重に、ということで、Bunkamuraに行くのが最適とみた。なぜなら、我が家からは渋谷まで行かず、住宅地の小さな駅神泉から歩くので静かで近い。同ビル内のシアターコクーンの上演時間を調べて、ずらしていけば、ビル内も殆ど人影なし。

根津美術館で国宝堪能して紅葉狩りる絶好のチャンスでもあったが、こちらは渋谷を通って表参道を歩かねばならぬ。人混みは予想できる。断念。
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ランチは、1階カフェにて。地下のドゥ・マゴは、ビュフェの絵にもでてくるが予算オーバーなのでパス。
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今回の展覧会は、静岡にある「ベルナール・ビュフェ美術館」の所蔵品が中心。美術館を建てた熱狂的コレクターが日本にいたせいか、こんな特異な画風なのに、日本での人気が高い。ルノワールやモネが人気なのはわかるが、ビュフェはかなりクセがあるぞ、と思う。その実、私も妙に気になる存在。
昔どこぞの展覧会で買った葉書が大事に取ってある。選んだのは猫。
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でも彼の生涯、画業の全貌を詳しく知るとこはなかったので、本回顧展、いい機会だった。

入り口で検温、消毒、現在予約は不要。ロッカー使用可。展示室内ソファ撤去。ソーシャルディスタンス保持できる入場者数。
珍しいことに、ミュージアムショップにグッズなし。本と図録、ポスカのみ。作らなかったのか、間に合っていないのか。
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https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_buffet/
20世紀後半のフランスを代表する具象画家の一人ベルナール・ビュフェ(1928‐1999)。刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写を特徴とする画風は、第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応し一世を風靡しました。抽象絵画が主流となっていくなかで、人気作家となっていったビュフェは批判されながらも自らの道を貫きます。そして近年、パリ市立近代美術館で本格的な回顧展が開かれるなど、再評価が高まっています。疫病の不安が重くのしかかり、多くの自然災害に翻弄される今、本展は我々と共通点のある時代を生き抜いたこの画家の作品世界を、年代を追う形で「時代」という言葉をキーワードに、ベルナール・ビュフェ美術館(静岡県)が所蔵する油彩を中心とした約80作品で振り返ります。


画家ベルナール・ビュフェ誕生
《キリストの十字架降下》1948年フォト
極端に細い人体はジャコメティを思い出させた。19歳でオリジナリティを確立とはまさに天才!ただ、17歳で母を亡くし、父とは不仲、第二次大戦直後の虚無感の中貧しい生活を送りながら孤独に画家の道を歩む…やはり精神になんらかの影を落とすよね…

《肉屋の男》1949年フォト
これと並んでいたのが《二匹のひな鶏のある静物》で、皮を削がれた痩せこけた鶏の屍体がふたつテーブルの上に転がっていた。ビュフェの描く肉体は生きていても死んでいてもひどく削がれていてストイックだ。動物の屍体というとスーチンを思い出したが、やはり本人も惹かれていたよう。なるほど、狂女も描いているところも共通だ。
《狂女:二人の狂女》1970年フォト
スーチンは激しいタッチで、ビュフェは鋭いタッチで。


プロヴァンス時代〜新天地での変化
パートナーのピエール・ベルジェと小説家ジャン・ジオノを尋ねて南仏に滞在。線はこれまでの不安な細いものから力強く太くなり、色彩も増えてきた。
《百合の花》1955年フォト
「もし1枚くれるなら…」では、今回はこれを所望。
画像はないが《コトドリのある静物》は薄いピンク背景に、尾が綺麗なコトドリと可愛いミミズクがいて、こちらもかなり好み。この時期の静物画がいい。


《サーカス:トロンボーンとピエロ》1955年フォト
ただ、人物像は一癖も二癖もあって、画像はないが《水浴者》などは、寒々しい海水浴場で、痩せこけた、しかもハゲで全裸の男たちが無表情で水遊びをしている。シュール!


激動と表現主義の時代
《夜会服のアナベル》1959年フォト
画家はミューズを得ると激変する、の代表格だなぁ。アナベルとの出会い、結婚は画風を一変させた。両性具有の雰囲気を持ち、変幻自在にモデルをつとめたというアナベル。
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《青い闘牛士》1960年のモデルもアナベル

《ピエロの顔》1961年フォト
この辺りがもっともよく知られているビュフェのイメージ。縦の直線を強調する署名と製作年の数字を画面の堂々中央に入れる。

《カルメン》1962年フォト
舞台の衣装デザインもした

《ピカドール》1962年フォト
まるで劇画のような馬と闘牛士のポーズ。迫力。闘牛士を描いたと言えば思い出すのが、ピカソとジャン・コクトー

風景の絵もかなり独特だ。
《ニューヨーク:34丁目》1958年フォト
直線が強調される建物。人物は皆無。ユトリロとは表現が違うが、なにか神経症的な精神の歪みを感じるのだが。

1960年代の《自然誌博物館》も面白かった。鳥や昆虫を、まるで剥製や標本のように、画面いっぱいにそれだけを描くのだが、写実ではない、彼の頭の中で生まれた生物なのだろう。
《蟹》1963年フォト


《小さいミミズク》1963年フォト
これは可愛いが、対極にあったのが《ガマ》、背景が黒と緑で、おどろおどろしいが、哲学的。

《皿洗い機》1970年フォト
こんなモチーフも絵にしてしまうのか。ビュフェならではの筆致。


レアリスムの時代〜名声と理想の狭間

フランス政府から勲章を与えられるなど画業が公に認められ、1973年には日本に世界唯一のベルナール・ビュフェ美術館が開館。でも人間嫌いを理由に開館式には来日せず、閉じこもって絵を描いていた。以前からアル中治療もしている。

《ペロス=ギレック》1973年フォト
この頃の絵は写実的でまるで違う人が描いたよう。この絵は、アクアグリーンのの海が綺麗だが、なんとなく不穏。精神の不安定さが窺える。


終焉〜死の河を渡る
《ドン・キホーテ 鳥と洞穴》1988年フォト

《死16》1999年フォト


説明に「1997年にはパーキンソン病を発症し、体力が衰え、死を予測したビュフェは、1999年、翌年の個展に出品する「死」シリーズを5月に完成させましたが、6月末には絵筆が執れなくなり、「絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら生きていけないでしょう」という自身の言葉を証明するかのように、10月4日に自ら命を絶ちました。」とあった。



うむ、痛々しい。痛々しいといえば、彼の引く線は絵であれ、サインであれ、鋭いナイフのよう。サイン横に刻まれる数字(製作年)も、ある意味命を削るようで痛々しい。

1973年日本にビュフェ美術館ができたニュースは覚えていた(その時は興味があった)が、1999年亡くなった知らせをまるで覚えていない。自死ならなおさら大々的ニュースになったはずなのに。

今回改めて生涯を通して画業を見てきたが、60年代から70年頃の絵は好きだし、ご多分に漏れず当時流行ったサガンやサルトルなども読んでいたから、なんとなくシンパシーを感じていたのだろうが、後半生の絵は好みではなかった。だから記憶になかったのだろう。

しかし、つくづく他の誰とも違う、特異な画風だと感じた。その仕事はさぞや孤独であったろうと推察できる。


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会場にビュフェの素敵なポートレイトがあった。端正な顔立ち。撮影したのは、ロベール・ドアノー、次回展覧会がある。



1月24日まで
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【追記】
ビュフェの絵を表紙にしたサガンの著作がずらっと展示してあったが、我が家にもありました。昭和43年63刷の新潮文庫
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字が小さすぎて、読めない…


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