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2020年10月20日09:00

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10/18 後藤克芳ニューヨークだより@松濤美術館


入院が迫ってきて見に行かれなかった真珠展。次回は何かなとHPを覗いたのがこのカエル。
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ポップアートだ。
最初はあまり興味なかったが、アートテラーとに〜さんのブログを見て、全て「木」で作られていると知った。ええ?そうは見えないよ。この目で見てみたい!という気持ちになる。

術後1ヶ月と1週間。再手術だったからか回復はまだまだ。早く美術館へ行きたいが体力がついていかない。何せ家から駅までの道のりではぁはぁする。今行きたい展覧会の中で、松濤が最も近く、最も狭い。これに行かれたら自信がつくかも?予報に反して晴れたのも背中を押した。午後思い切って出かける。



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美術館入り口に何やら注意書き。任意だが、来館時刻と連絡先を紙に書いて出せば、万が一同じ時に感染者が出たら知らせてくれるという仕組み。そういうアプリがあるとは聞いていたがアナログは初めて。


そして、多くの美術館がそうだが、ソファ使用不可。途中休憩したい私はこれはほんと辛かったが仕方がない。冬に向けてロッカー使用不可の方がきついよね。



心配をよそに、来館者は私たち以外にたった二組だった。さすがにこれは少ない。いい展覧会だっただけにコロナが口惜しい。

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https://shoto-museum.jp/exhibitions/189goto/
1:後藤克芳とは誰か?
後藤克芳(1936~2000)は、ニューヨークを舞台に、現代美術の新しい流れとなったポップアートに取り組み、活躍した作家です。主に木を用い、スーパーリアリズムの手法で、驚くべき完成度の高さをみる半立体作品を制作しました。
2:1960年代、米沢における現代美術の伝道師
自然豊かな山形県米沢市に生まれ、少年期から絵の道を目指し、やがて武蔵野美術学校西洋画科に入学し、その頃知り合った荒川修作や篠原有司男などと交流を深め、故郷で彼らを招いてネオ・ダダを紹介するなど、活発に活動しました。
3:ニューヨークで挑みつづけた36年、その理想と現実
1964年に渡米しニューヨークに居を定め、1972年には永住権を獲得、2000年に同地で病没するまで、商業デザインなどで生計をたてながら、一流のギャラリーで勝負をしようと制作活動を続け、さらにはニューヨークの文化や暮らしを「ニューヨークだより」として晩年まで日本へ紹介し続けました。ニューヨークの様々な芸術家たちと交流をもち、その剌激を大いに受けた後藤の作品群は、没後、遺族により故郷の米沢市上杉博物館へと帰ってきました。後藤が発信する文章や、ポップでキッチュな作風とは裏腹に、非常に几帳面な仕上がりを見せる作品は、見る人を惹きつけてやみません。「日常がアートになる」と、身近な題材を“アート”に昇華させた後藤の作品を紹介します。

チラシは4色4種類

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展示は年代順で、いつも第二会場となる2階が先。コンクリート打ちっぱなしの壁に半立体のポップアートが似合う。


《青の静物》フォト

武蔵美時代は「普通の」絵画を描いていたが、憧れのニューヨークに渡ってポップアートに転身。まさに70年代と言った感じの、赤の水玉背景にビニール傘、アメリカンコミックが描かれた雑誌が突っ込まれた夫人のサンダル靴など。ただし、ポップアアートであると同時になかなかの超写実。


そして、こちらがニューヨークで認められるきっかけとなった作品
《COLORADO》フォト
切手をモチーフにした作品は他にも数点ありました。環境破壊をそれとなく風刺。

《MAIL BOX》フォト
描かれている風景はロッキー山脈、川の鱒も名物


《Duco CEMENT》フォト
デュコセメントというアメリカでは最もポピュラーな接着剤。カエルの手足もこの接着剤で付けられいている風にしてあるし、糸状に伸びた接着剤が箱に張り付いている風もリアル。でもこの作品1m以上あります。後藤の作品は概ね大きい。

《MEMORY (T)》
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ポップアートは身近なものを題材にするというのが鉄則。金色なのにトマトの質感と錆びたスコップの質感がすごい。どっちも木なんだよ!
「錆び」と「焼け焦げ」表現は特に真骨頂。これも、誰もがみたことあるスイス製の十徳ナイフ。どうみても錆びている風なのに木!
《KNIFE》フォト

《LOVE LOCK》フォト
こちらは焼け焦げ。「愛」を壊そうと錠前を焼いたり、殴ったり(凹んだ痕がある)したが壊れなかったというユーモア。アメリカ人が好きそうだ。ハートの柄は夫人のドレスの柄なんだって。

《MEMORY》
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ユーモアといえばこちらも。60年代に販売されたダイバーのフィン。ラバーの劣化の穴が魚のシルエットになっている。そしてそれよりも驚きが、どうみてもラバーに見えるところ。

この質感の凄さ、同じベニヤ板で作って同じ色に塗ったレンガの上のドーナツでも、レンガはレンガ、ドーナツはドーナツの質感があるから舌を巻く。後藤の作品はほとんど半立体の壁掛け。だから裏を見て製作工程を知って驚くのだ。半立体のスーパーリアリズム。
 

《MY SUNDAY》フォト
2階展示室の奥に「後藤の種」というコーナーがあった。多くの作品は故郷山形米沢市上杉博物館に遺族から寄贈されたが、同時に所蔵品も多く寄贈された。日常の身近なものをとっておいてそれをモチーフとしたのだ。
この作品も、元は本当の靴底。展示があった。新聞紙が張り付いた風もそのまま再現。作品は両手で抱えられないほどの大きさだが、めちゃめちゃリアル。



ちなみにこのコーナーには、交友関係のあった篠原有司男、河原温が彼に宛てた作品も展示してあった。河原温は、後藤の結婚祝いにその日から毎日絵葉書を送り続けているのだが、そこにはタイプで打ったような文字で「I GOT UP 9:50AM」というように起床した時間だけ書かれていた。あはは、思い出した。河原温といえば、あのタイル浴室シリーズと日付シリーズの人だよね。うむ、結婚祝いにこれは不可解なり(笑)

そして、

やはり時代だなぁと思うのは、キース・ヘリングのエイズ死に際して、同じアーティストとして衝撃を受け、悼み、作品をつくり、アクションしていること。関連の作品も多く残している。エイズに罹患しゲイであることをカミングアウトした著名人はこのころとても多かった。衝撃だった。
《Summer 1993》フォト



さて、お待ちかねは晩年2年間の作品。昔篠原有司男の飼い猫サルから生まれた子猫をもらい受けた後藤は、16年一緒だったミミを失った時悲しくてもう猫は飼うまいと心に誓ったそうだが、晩年にはGIGi、MIMI、KIKIという三匹の猫を飼っている。しかも亡くなる直前2年間は猫の作品ばかりを作っていたそうだ。
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好んだ銀色の背景や、お得意のアメリカンコミック風の縁に、リアルな猫の像。前後期入れ替えで6点しか見られなかったのが残念だが、レプリカが欲しくなる。
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白黒の空飛ぶ猫KIKIのベニヤ板くりぬきは、1日で作りあげ一日中KIKIと一緒に見上げていたという、ほのぼのエピソード付き。



ポップアート、それが何か?と言って仕舞えばおしまいだが、半立体のスーパーリアリズムには驚きだったし、日本人なのによくぞここまでアメリカ〜ン♪なのがとても楽しい展覧会だった。

11月23日まで


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