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2020年03月01日21:43

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2/29 生誕140年 背く画家津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和@練馬区立美術館


コロナウイルス市中感染、今が正念場として、政府が国立博物館、美術館の休館要請をしたところ、首都圏の美術館が相次いで休館を発表。
見に行く予定だった、アーティゾン美術館開館記念のコレクション展も庭園美術館のラリック展も3月中旬再開を待つしかなくなった。
出光の狩野派展は3/1に開催終了となった。駆け込みで最終日に行きたかったが、混雑を恐れて断念。
そこで、状況が悪化する前に、見逃すと後悔するであろう「津田青楓展」を練馬美術館へ見に行くことにした。今ならイベントは中止されたものの予定通り開催している。何せ、津田青楓なんて人気のない画家、二度と回顧展に巡り会う機会がないだろうから(失礼)

津田青楓といえば、近代美術館常設の《犠牲者》フォト
「蟹工船」を書いた小林多喜二が獄中死した年に描かれた作品だ。一度見たら忘れられない。縛られ吊るされた体、巻きつけられた縄、うなだれる首、ボロボロになった衣服に滴る血、浮き出た肋骨、激しい拷問を受け、たった今息絶えた姿に胸が締めつけられそうになる。
近代美術館では、この絵と横山操《塔》が、なぜかセットで思い出される(全然違うのにね)私。
横山操《塔》フォト
あまりにもこの絵が強烈なため、以降の勉強不足で、恥ずかしながら津田青楓という画家をほとんど知らないことに気付いた。何せチラシの絵を見てびっくりしたくらいだ。
フォト
へ〜こんな絵も描くんだ…

私は、津田青楓は洋画家だと思いこんでいた。マルチな才能と縛りを持たない青楓は、実は日本画も能くしたのだった。同時並行していたわけだが、《犠牲者》を描いた頃は、河上肇氏との交流からプロレタリア運動を擁護していて、洋画は「社会的意義を持って描くもの」と考え、反政府的な洋画を発表していたのだ。


展覧会場では、この《犠牲者》を中央の壁にかけ、手前に小林多喜二のデスマスクを展示。
さらに進んだ左右には《疾風怒濤》《怒涛》の大作が掛けられていた。どちらの絵も、大波が岩に砕け散る様を描いた作品で、社会に対する怒りと抵抗の強い思いが押し寄せてくる作品だ。
学芸員さん、グッジョブ!

国会議事堂を大きく描いて政府を皮肉った作品には、マルクスの言葉のコラージュがある。そうそう、書き忘れていたが《犠牲者》の左下にある窓の向こうには国会議事堂が見えている。下絵ではこの窓の位置を変えているからこだわりを持って描いたのだろう。



で、問題は、その後。《犠牲者》を描いた年に青楓は官憲の取り調べを受けている。思想転向をして釈放され、同時に洋画を断筆する。有名画家だった青楓のこの出来事は大々的に新聞記事にもなった。官憲の取り調べに屈して思想転向した時の思いはどうだったのだろう。以降は、自分の隠遁世界を「南画」に求めて数多く描いている。

力が抜けたような、伸び伸びした穏やかな山水画や、飄々とした虎と龍の図も味わいがあって悪くなかったが、あまりの変わりように戸惑う。まるで別人だ。
《薔薇鶏図》フォト
《秋天煌煌》フォト



話は前後してしまうが、初期の作品というか、初めの頃は図案制作をしていた。それがすごくいいのだ。今回はむしろそれが見たくて、訪館した次第。

《うづら衣》より

フォト フォト

フォト
光琳やアールヌーヴォーを参考に、写生を大事にして作りあげた”小美術”(図案)という分野。私は大好きなボナールに似ているなぁと感じたけれど、漱石に絶大な信頼を受けて手がけた本の装丁も素晴らしくて、この人の才能は奥深いものであると確信。
フォト
販売の図案集に手が伸びそうになったのを我慢。
《漱石山房とその弟子たち》フォト

その後、官費でフランス留学、二科会設立など日本の洋画界に尽力した人でもあることを知る。
《夏の日》フォト
ゴーギャンを思い出す。独特の色使い

《婦人と金絲雀鳥》フォト

青楓の妻、山脇洋裁学院創設者山脇敏子がモデル。モダンな人っぽい。



正直、青楓の裸婦像は、萬鉄五郎や梅原龍三郎タッチで好きになれずすっ飛ばしてしまったが、津田青楓洋画塾なるものも作って、洋画家界を盛り上げたことも大きな功績だ。

画塾生の中に、北脇昇の名前があったのに少しびっくり。

この名前もまた、近代美術館でよく目にしている。戦後シュルレアリズムの彼の絵には反戦の思いがが込められているものね。

師の思いを継いだのかもしれない。

実は、青楓は図案を描いていた頃、2度も兵役にとられ、二〇三高地を経験している。晩年二度と御免なものは?の問いに、ぼそっと一言「戦争」と答えたそうだ。
人物像や幅広い交流関係への興味も尽きない。まだまだ知るべきことは多くある。




https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201912151576384229



1880年(明治13)に京都市中京区に生まれた津田青楓 (1880〜1978、本名・亀治郎)は、1896年(明治29)に生活 の糧として図案制作をはじめたことから画家人生の第一歩を 踏み出します。歴史画家谷口香嶠に師事し日本画を学び、関西美術院では浅井忠らにデッサンを学んで、1907年(明治 40)に安井曾太郎とともに渡仏。アカデミー・ジュリアンで 修行します。帰国後の1914年(大正3)には二科会の創立メンバーになるなど洋画の世界で活躍し、後に洋画を離れ、文人 画風ののびやかで滋味豊かな作品世界を展開していきました。 青楓は文豪夏目漱石に愛され、彼に絵を教えた画家であり、 漱石らの本の装幀も数多く手がけました。
 本展では、交友のあった夏目漱石と経済学者河上肇、それ に私淑する良寛和尚と、青楓がもっとも影響を受けた3人を軸にしながら、作品や関連資料約250点を通して、明治・大正・昭和の時代を生きた画家津田青楓の生涯を振り返ります。

第1章 因襲に背く 図案から美術へ
第2章 帝国に背く 社会派の画家
第3章 近代に背く 南画の世界へ

4月12日まで(予定)
空いているので、人混みは避けられますよ。
 


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