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2020年01月29日23:30

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1/29 奈良原一高「人間の土地/王国 Domains」展@JCIIフォトサロン

世田谷美術館で昨年からやっていた写真展「奈良原一高のスペイン」が26日でとうとう終わってしまった。世田谷美術館は、我が家がある区の美術館なのに、恐ろしく遠く感じる。交通不便なのです。どうしても行きたい展覧会でないと腰が上がらないのよねぇ…


久しぶりに快晴です!今日は家の用事をやっつけるつもりだったけれど、洗濯をわ〜っとしたらお天気に誘われて出かけてしまいました。

奈良原一高「人間の土地/王国 Domains」展
https://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/2019/11/13/21589/
美術史を専攻する学生時代に池田満寿夫、靉嘔(あいおう)らと活動していた奈良原一高は、1959年に川田喜久治、東松照明、細江英公らとともに写真のセルフ・エージェンシー「VIVO」を設立し、その後、パリやニューヨークを拠点に世界各地で撮影を続け、造形的な作品が国内外で高い評価を受けています。本展では、1950年代に新しい写真表現として話題をさらった初個展「人間の土地」と、第2回個展「王国」の作品をご覧いただきます。
 1956年に発表した「人間の土地」は、鹿児島の桜島噴火で埋没した黒神村を写した〈火の山の麓〉と、長崎の人工の炭鉱島である端島(軍艦島)を写した〈緑なき島〉の2部作で、自然対人間、社会機構対人間を追うものでした。1958年に発表の「王国」は、和歌山県の婦人刑務所を写した〈壁の中〉と、北海道のトラピスト修道院を写した〈沈黙の園〉の2部作で、閉ざされた壁の中の生活を追うことで現代に生きる不安とむなしさを見つめています。2部作形式で発表された2つのシリーズは、外的、内的要因によって隔絶された場に生きる人々をとらえたパーソナル・ドキュメントで、本展では1部毎17点、合計68点(すべてモノクロ)を展示します。
 若き奈良原は、「自分の遭遇した世界、そのコンセプトと写真との出会いを見せたいだけ」(『奈良原一高 昭和写真・全仕事9』朝日新聞社、1983年)で「人間の土地」を発表し、写真界の注目を集めました。作品を見た木村伊兵衛ら重鎮の感想放談に対して若き写真評論家の福島辰夫が「発言に責任を持て」と迫るなど、写真表現の転換を象徴する作品であり、今日も多くの人の心をとらえる不朽の名作です。



こちらの会場は半蔵門駅からすぐ、交通至便、しかも入場無料です。写真ファンしか来ないような地味なギャラリーだけれど、日本の写真史を背負ってきた著名写真家の展覧会を開催する。見逃す手はありません。しかも毎回、展示した全写真をコンパクトな図録にして1000円(以前はもっと安かったような…)で販売。穴場です。

実は、この「人間の土地」と「王国Domains」は2015年に近代美術館で見ている。すごく感激して、かなり力を入れて日記を書いていた。
こちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1938550822&owner_id=2083345

5年ぶりに見たけれど、やっぱりすごく良かった。

溶岩ばかりの荒れた土地を耕し生き続ける黒神村の人々、最後に鳥居の下半分が土砂に埋まったままの神社で遊ぶ子らを俯瞰で取った写真、泣けてくる。
一方、軍艦島はまるでバベルの塔。炭鉱労働者の町が巨大な一つの団地でできている。割烹着を着てネギのはみ出た買い物かごをもつ主婦らが行き交う場所は木がなくコンクリートの道と壁、なんと不自然な町だろう、背筋がゾッとした。どちらも岩、コンクリートの塊の中で生きる。人は健気だ。

和歌山刑務所の女囚とトラピスト修道院の修道院、その生活に私語はない。どちらも音の少ない世界だが、空気の澄み方に大きな違いがある。自分自身の罪を償う人と、人間の原罪を贖う人。いや、人の心の底に渦巻く情念はどうなんだろう。規律で押さえ込むのか、祈りで鎮めるのか。

2月2日まで




つい10日前、1月19日に奈良原一高氏ご逝去。享年89。二つの展覧会が都内で開催されている最中だ。偉大な写真家のご冥福を心からお祈りいたします。
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