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2020年01月23日13:14

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1/22 ミイラ 「永遠の命」を求めて@ 国立科学博物館

考古学などはあまり興味がないので全く行く予定はなかったのだが、年末の恒例「my best 10 」で、マイミクさんが「美術展ではないけれど」と断った上でベスト1に挙げていた。そんなに面白いの?と取っておいたチラシを読み返したら、なんだかとても面白そう。実は、マオを送ってからちょっと死生感が変わった私…古の人々の肉体と魂に対する考え方を改めて知りたくなった。

科博は今日も遠足で大混雑。お弁当が食べられるラウンジは満席。ミイラ展はやや混んでいたが、子供はほとんどいない。案外若い女性に人気。土日はチケット売り場には列ができることだろう。じっくり見ていたら、3時間近くもいた。何せ、主だった展示物横にある1〜2分の映像がわかりやすくていい。一つ一つ見る。

チリ・ペルー、エジプト、ヨーロッパ、そしてパプアニューギニアと日本、世界のミイラが網羅されていて、知らなかったことが沢山。ヨーロッパの自然ミイラにショックを受けた後、最後に日本の即身仏が紹介されていて、すごくありがたみを感じて、心の中でずっと手を合わせっぱなしだった。展示方法がとてもよかった。ただ、正直になところ、これだけ多くのミイラ=遺体を見ていたら少々気分が悪くなった。怖い…眺めているだけだったら、怖くて気味悪いものでしかない。

今回何より驚いたことが、ミイラの科学的研究に対する関心、理解が今現在もまだ低いということ。
かつて、ペルーでもエジプトでもミイラは「売買の対象」「人気のお土産(!!)」であった。つまり、盗掘され、破壊されて、例えば「手だけ」で売られてたりした。ミイラそのものへの興味関心はあるが、学術的価値に関心がないので、「基本情報」(どこで、どのような状態で、何と一緒に発掘されたか、等)を付帯せずに流出してしまった。最後の展示にあったパプアニューギニアの「干し首」も、敵の首を加工して、ちょうど抱き人形くらい大きさに縮めてお土産として旅行者に売っていたらしい。信じられん。
基本情報が付帯していないので研究しようがない、当然科学者には人気のないジャンルとなった。例えば、ペルーの完全な形で残っているミイラをプラハの画家が所有していたり、素晴らしい彩色の棺入りのミイラがドイツの高校で見つかったり。どういう経緯できたのかは謎、扱いがあまりにも適当だ。
また、ファラオの呪いという迷信もまことしやかにささやかれ、関係者が次々と不審死したとかいうのもまた、研究者に人気がない一因らしい。事実は、関係者の平均年齢が74歳だったので死んでも不思議はないのだが、ミイラに触れるのは、有毒なカビやら何やらがついているので直接触れルのは危険なのだ。
いずれにせよ、研究するには成果の得られづらい人気のないジャンルだったが、最近はCTなどの非破壊検査の技術やが向上し、DNA研究が進歩して、いろいろなことがわかってきているようだ。

ミイラは死者だ。遺体なのである。ガラスケースを取り囲んで「はぁ〜ほぉ〜」などと言いながら眺めているなんて大層失礼な、罰当たりなことだ。魂が帰る場所として何千年も肉体を保ち続けた死者を敬い、成仏していただくには、こうなったからには、「過去を知る、未来に役つための研究」しかないだろう。その研究の一助として、今回の展示があったということなら、自分なりに理解したいと真摯に観覧した。

https://www.tbs.co.jp/miira2019/
フォト
ミイラには多くの人々を惹きつける力があり、その根源にあるものは、遠い昔に亡くなった人の「姿」がそのまま残っていることに対する驚きではないでしょうか。
自然にミイラとなったものから人工的につくられたミイラまで、南米、エジプト、ヨーロッパ、オセアニア、日本のミイラが一堂に会することで、それぞれの背景にある死生観や文化の違いを知ることができます。さらに、昨今の科学技術の進歩によって、ミイラから引き出すことのできる情報も飛躍的に多くなり、学問的な関心も高まっています。本展は、最新科学によって明らかになったミイラの実像、ミイラの文化的・学術的な価値、そして人類がもつ多様な死生観と身体観を紹介するこれまでにない“ミイラを科学する”展覧会です。

第1章 南北アメリカのミイラ
古代アンデス文明には、チンチョーロ文化、ナスカ文化、チャンカイ文化。チリバヤ文化などがあり、ミイラを人工的に作る文化があった。インカ帝国ても形を変え引き継がれ、それは15世紀スペイン侵略、キリスト教の普及で途絶えたという。

調査の結果、ペルーチャンカイ文化の《下腿部を交差させた女性のミイラ》は両手に一つずつ乳歯を握っていたというし、チリ北部?先コロンブス期の女性ミイラ(30〜35歳)は頭のところに子供(2〜3歳)を抱え、腹にもう一人子供(1〜2歳)を載せている。腹に載せている子供は後から足したものだという。
いずれも母と子ということなのかな、興味深い。女性と子供のミイラの女性の髪は長く三つ編みが編まれていて、生々しい。

フォト
むき身のミイラ に比べて、チャチャポヤ=インカ文化のミイラ包は可愛い。219体見つかって、レイメンバ博物館に収められている。       
両手を顔に当て体育座りをさせ遺体をコンパクトにする、それを布で包むのだ。顔のところには顔の刺繍が施してあったり、袋全体に刺繍や染色で模様をつけ、綺麗な縄縛りで仕上げている。これらを断崖絶壁の岩棚に安置するのだそうだ。

インカ帝国では歴代皇帝をミイラにした。また、子供を神の生贄としてミイラにもした。生贄にする1年前くらいから、リャマ肉やとうもろこしなど良い食事を与え、コカやアルコールなど幻覚作用のあるものも与え、美しく着飾って大事に育てたという。映画にあるような世界だ。

第2章 古代エジプトのミイラ
アンデスのミイラが、死後も地域社会の一員として存在すると考えているので、あまり手を加えずに作ったのに対して、エジプトでは死者自身が来世で幸福に生きられるようと作るので、かなり手をかけている。自然と技術もどんどん進歩、中王国時代には頂点に達する。後世ミイラ及びその付属品に「美術品的価値」をも見出すことができる。

人は死んだら魂はバー(鳥の形)になってあの世とこの世を行き来する。バーのこの世の居場所がミイラなので、自分のところだとわかるように棺に目印(装飾)をつけなければならない。死者の世界に行くので、護符(アミュレット)も必要だ。また、死者のペット、食べ物、神への捧げ物として動物もまたミイラにした。これらのことは、数年前に松濤美術館で見た展示で学び、とても面白かった記憶がある。
こちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947953237&owner_id=2083345

ミイラにするには、アヌピス神(ジャッカル)に扮した職人が70日かけて作る。絵を見るとアヌピス神の重たい被り物をしているが、この作業をやるのは大変だろう(きっと形だけだ・笑)左の脇腹から内臓を取り出し、肝臓は人型の、胃は犬型の、臓器によってそれぞれのカノポス壺に入れ分ける。心臓だけは神の裁きの時に必要なので残しておく。
別のミイラだが、左脇がポッカリ開いたミイラを見た。覗いたら背骨しか見えなかった。内臓をきれいに取り出していた。
脳みそは鼻から掻きだす。水分を吸収するナトロンという薬剤を振りまき、いろいろ処置をしてからリネンで丁寧に何重にも巻く。
巻き方も時代とともに美しくなって意匠的。トキの巻き方などは、日本の伝統工芸みたい(笑)猫のミイラは、耳と口は包帯で作っている。ちょっと可愛い。
フォト
内臓を入れるカノポス壺というのもまた素敵だ。蓋がヒト、ヒヒ、イヌ、ハヤブサの頭部になっている。
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エジプトのミイラ作りは、スペイン侵攻のグレコ・ローマン時代にはミイラより棺の装飾に重点が終われるようになり、オスマン帝国支配となった後は中止された。

第3章 ヨーロッパのミイラ
ミイラは砂漠や高地でのみ発見されるとばかり思っていたが、オランダなどの湿地帯で見つかっている。そこのミイラは自然ミイラで、暴力を受けた跡があり、生贄か犯罪者かで処刑され、殺害された者たちではないかということ。首に紐が巻かれたままの状態だったり、苦しそうな格好をしていたり、なんだかいたたまれず…本人、殺されるのも無念であったはずなのに、何千年も時を経て肉体だけが残り、今こうして大衆の目にさらされているなんて気の毒すぎる!

《ウェーリンメゲン》男性二人のミイラフォト

泥炭地では腐敗が進まない条件が備わり、酸性であれば骨が溶け皮膚が残り、アルカリ性では皮膚が溶け骨が残るという。

《イデガール》フォト
1897年に発見された、絞殺されたイデガールなどは、今の技術で生前の姿を再現できる。うう、生々しい…流石に気分が悪くなってきた。
ただ、ヨーロッパでは、教会にもミイラが残されている。カトリックでは、聖人は不朽体であるとか、復活があるとかの教義があるからだ。頭蓋骨にはアンナという名も記されている。
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第4章 オセアニアと東アジアのミイラ

パプアニューギニアの肖像頭蓋骨(1800年〜1900年頃)は、小林眞氏のコレクション、研究をなさっていた。オセアニアにはミイラ文化もあったが現存少なく、20世紀には途絶えたので不明。

中国には自然ミイラはあるがミイラ文化はなし。そうそう、中国は不老不死の妙薬に躍起になっている国。死後の世界よりも、死なないで長生きして仙人になるのが理想。死後の世界で贅沢にくらすエジプトとどっちが欲深いのか、考えると面白い。

日本のミイラには驚き。
一つは江戸時代の兄弟ミイラ。日本人らしく正座して、髷まで結っている。リアル。一体どうしたわけで兄弟でミイラになったのだろう。

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1番の驚きは本草学者のミイラ。1832年頃という。学術的な探究心で自らミイラとなった博物学者。「後世に機会あれば掘り出してみよ」と子孫に言い残したという。調べたら腸の中に大量の柿の種子が残っていたという。体もタンニンの色に染まっていた。うむ、柿渋は防水、防虫、防腐に効果があるのだったよね。文字通り体を張った実験が成功したことを、学者さんはあの世で知ったかな。それにしてもこの学者さん、当時は相当変人扱いされていたことだろう。

最後は福島のお寺に安置された即身仏。巧妙な僧が人々の安寧を願い、石の薬師如来像の中に入定。これまで顔が見られたミイラの中で、一番穏やかで優しいお顔をされていた。
CT検査をしてわかったことは、死後大事に補強されていたことと、生前ひどい腰痛持ちであったこと。痛みをおしての禅定は相当きつかったに違いない。偉いお方だ。合掌。

別会場には国立博物館で過去に展示されたミイラが展示されていた。


死ぬこと、魂と肉体、色々と考えさせられる重い展示だった。2月24日まで

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