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2019年01月16日08:52

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1/14 終わりのむこうへ:廃墟の美術史@松濤美術館

旅行や町歩きが好きな夫も、写真をやっている私も、「廃墟」にはそそられる。何故そそられるのだろうか…そんな疑問を解明したいとともに、古今東西の「廃墟」の絵がたくさん観られることにワクワクしながら、行く。こんなニッチな展覧会、空いていると思ったら大間違い。特に若い人が多かった、しかもあまり美術館慣れしていない感じの。廃墟人気恐るべし。ワンコインでマグリット1点、デルヴォー6点、キリコ1点が観られるのも人気の秘密かも。
私としては、ユベール・ロベールに納得、亜欧堂田善にニヤリ、昨年東京ステーションギャラリーで観た不染鉄との再会に感動、そして、練馬美術館でその名を知った麻田浩や大岩オスカールにバンザイの展覧会だった。
フォト フォト
まずは2階の展示室から。17世紀から18世紀の欧州で廃墟が絵画の画題となった歴史を見ていく。そしてその西洋絵画の輸入を受けた日本人画家がどのように西洋の廃墟を絵にして行ったかを探る。ここが可笑しい、面白い。
撮影可のパネルフォト
第2会場は地下。これはいつもと逆ね。シュルレアリスムの世界が広がる。ああ、そうか、シュルレアリスム絵画では幻想的な空間を描き出すのに遺跡は絶好のモチーフなのね。キリコのこれでもかの“ちくわぶ”(副田命名・笑・神殿の柱)を思い出した。そして、最後は日本の現代作家へ。廃墟は戦争の足音と結びつき、そして今世代の作家は、廃墟を過去の遺跡ではなく、今あるいは未来の形として捉えていて、それはなかなか衝撃的だった。

表題である廃墟の美術史を大まかに述べるとこんな感じ。
廃墟は偉大な古代への敬意と憧れ、一方では世の無常を暗示させる画題として西洋では昔から愛されてきた。特に18世紀には、遺跡の発掘が相次いだことやイタリアなどへの旅行「グランドツアー」の流行から廃墟ブームが起こり、絵画にそれを求める需要が増す。近代では、シュルレアリスムの作家達が謎めいた幻想的空間として廃墟を背景に選ぶ。一方、日本では、近世西洋画が日本に入ってきてその題材としての廃墟も目にすることになったが、もともと日本人には廃墟を愛でる習慣はなかったため、廃墟の美学を意識することなく、ただ模写していた。しかし、海外留学を経験して日本人画家も廃墟が絵になることを知り、題材として選ぶようになる。また、廃墟に時代や思いを重ね合わせて独自の解釈をして描くようになる者も現れる。廃墟を造形としての面白さに惹かれる画家の他に、戦前の文化統制の不穏な空気を廃墟と重ね合わせて描く画家、戦後の急速な発展に危機意識を抱いて不安の象徴として廃墟を描く画家など。そして21世紀、「今は常に失われてゆくもの」として、現在の風景を廃墟に描き、過去となった未来を見つめる。「今」への愛惜とその終焉を超えた世界をも見据えようと、生への希望を込めるのだ。

http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/181haikyo/
フォトフォト
栄華や文明の痕跡を残しながら崩れ落ちようとする建造物や遺跡。「廃墟」は西洋美術のなかで、風景画の一角にくりかえし描かれていました。18世紀から19世紀にかけて、興味深いことにいわゆる廃墟趣味が流行すると、「廃墟」は絵画の主役の地位を確立していきます。
「廃墟」を愛でること、描くこと−この美学は、近代に日本の美術のなかにも伝播しました。廃墟の画家として名を馳せた18世紀のユベール・ロベール、版画家ピラネージから、19世紀のコンスタブル、20世紀のアンリ・ルソー、マグリット、デルヴォー、そして日本の江戸時代から近現代の画家たち、亜欧堂田善、藤島武二、岡鹿之助、元田久治、大岩オスカール、野又穫まで、廃墟の主題は描き継がれているのです。
なぜ人々は、流れる時間のなかで滅びた、またはいつか滅びてしまう、遠い昔のあるいは遠い未来の光景に、惹きつけられるのでしょう。
この展覧会では、西洋古典から現代日本までの廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、これら「廃墟の美術史」をたどります。

1章 絵になる廃墟:西洋美術における古典的な廃墟モティーフ
2章 奇想の遺跡、廃墟
3章 廃墟に出会った日本の画家たち:近世と近代の日本の美術と廃墟主題
4章 シュルレアリスムのなかの廃墟
5章 幻想のなかの廃墟:昭和期の日本における廃墟的世界
6章 遠い未来を夢見て、いつの日かを描き出す現代画家たち


ユベール・ロベール《ローマのパンテオンのある建築的奇想画》フォト
以前西洋美術館で大回顧展をしたユベール・ロベール、見逃してからはたまに出ると食い入るように見てしまう。

アンリ・ルソー《廃墟のある風景》フォト
ルソーにしては珍しい画題だし、遠近感もルソーぽくないことから、昔の版画作品を模写したのではないか、とのこと。それほど廃墟は身近。でもルソーの廃墟って…笑

ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ《古代アッピア街道とアルディアティーナ街道の交差点》フォト
他にもコンスタブル、ガーディン、コットマン、イザベイの版画多数。廃墟ブームの時代だ。ピクチャレスク(仏語ではピトレスク)を求めるあまり、写生に手を加えて廃墟集めするものだから、却ってシュール(笑)描かれる人物は古代の人ではなく、その時代の人々?それも曖昧な絵がある。

伝歌川豊春《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》フォト
浮世絵に西洋画技法を取り入れた人たち。つなぎ合わせの模写。
前期展示のこれはもっと奇妙で、古代風の風景に近代ヨーロッパと江戸がごちゃ混ぜ。
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澤部清五郎《群羊図(伊太利アッシジ付近)》
掛け軸仕立て。縦長画面に手前に羊の群れ、円形に遺跡。中国水墨画にモチーフを入れ替えた感じだが、これはなかなかいい。画像なく残念

不染鉄《廃船》フォト
戦没船のイメージを廃墟と重ねる。東京ステーションギャラリーで不染鉄展を見たのはもう一昨年だが衝撃が思い出される。

ポール・デルヴォー
《海は近い》フォト
《水のニンフ(セイレン)》フォト
神殿にガス灯、電線。古代と現代が同時に存在する突然に神秘や幻想を見る

伊藤久三郎《流れの部分》フォト
飛んでいく天女(女神?)を追う男、足元は流れていく廃材、遺跡の残骸も。津波を思い出すが。1933年の作品。

浜田浜雄《ユバス》フォト
ダリに影響を受けた画家。ユバスとは、停まった鳥が死に、周囲は荒地になるという植物、その芽がでている。生命の象徴の水はあるのだが、ここもまた荒廃するのか…1939年の作品。いずれも戦争の機運が高まる時期の作品。

麻田浩《旅・卓上》フォト
練馬美術館で見て感銘を受けた画家。大作だが緻密で素晴らしい。長テーブルは最後の晩餐を想起させる。様々な要素が組み合わさる

大岩オスカール《動物園》フォト
再開発で取り壊された北千住の空き地。東京五輪に向けて今東京は廃墟だらけだ。まるで今の絵だ。人間に進歩はない。

元田久治《Foresigt:Shibuya Center Town》フォト
野又穰《交差点で待つ間に》フォト
チラシ、HPに載っていたので載せることにした。東京の人ならここがどこかわかりますね。震災と再開発、毎日のようにテレビニュースで見る光景で、これらの絵が現実味を帯びる怖さ。

実に興味深い展覧会ですよ。1月31日まで。

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