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2020年01月18日09:43

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センター試験とウーロン茶

今朝からいよいよ、大学入試センター試験の1日目が始まるそうだ。
私が受験したのは1993年と1994年だったから、阪神大震災よりも前ということになる。

私が受けたときに比べて、1月18日というのはちょっと遅いな、という印象だ。
受験生にとってみれば、それだけ本番まで長く試験のための勉強ができるわけで、勉強のスタートが遅かった私にとってはちょっとうらやましいな、と思ったりもする。

私が受験したのは、1年目は岐阜県だった。
岐阜市内にあるその名も県立岐阜高校で受験したのである。

この高校は当時岐阜県一の進学校であり、岐阜県の高校生であれば誰もが憧れる学校である。
まさか自分が、こんな感じで同校を訪れることになるとは思ってもみなかった。

前日に、当時住んでいた高山から岐阜に移動し、駅前の「グランパレホテル」で宿泊。
そこから、歩いて岐阜高校を目指したのだった。

あのときは、今はもう廃止されてしまった路面電車が健在で、2日目はそれに乗って会場に向かった記憶がある。
ワンマン運転ではなく車掌がいて、車掌から160円切符を買ったのは、今にしてみればいい思い出である。

エアコンなど満足にない時代だったせいか、校舎内は寒かった。
昼食はお弁当だったわけだが、それと一緒に出た缶のウーロン茶が冷たいものだった。

そのとき思わず「あったかいウーロン茶を用意しようという気は無いのか!」と大きな愚痴ってしまったものだ。
すると翌日2日目の昼食では、私の望みが叶えられたのかどうかは分からないが、一緒に出てきたウーロン茶が暖かかったのである!

暖かい飲み物が嬉しかった私は、2日目午後の日本史に臨み、それなりの結果を残すことが出来たのだった(*^^)v
だが全体的に見れば、慣れないアウェイの会場にあって実力を十分に発揮できたとは到底思えない結果しか残せなかった。

決して初日の寒い校舎と冷たいウーロン茶のせいではなかったと信じたいが・・・(^^;)
結局、センター試験を活かした試験は1勝1敗。

その1敗が第1志望校だったので、最終的に浪人を決意したのだった。
2年目はなんと、1年目以上に点が取れない大失敗となり、早々に私大入試に切り替え。

いちおう京都府立大、北九州大、都留文科大という3つの大学に2次試験の願書を送ったが、その前に行きたかった私大に合格したため、結局受験することなく終わった。
結果を見れば、残念ながら私のセンターはダメだった。
相性が悪かったのかもしれない。

そんな微妙な思い出が、サントリーの缶のウーロン茶を見ると今でもよみがえってくる。
センター試験に臨む受験生の皆さんに対し、どうか暖かい試験環境と、せめて温かい飲み物がもたらされてほしいと願う今日の私であったほっとした顔
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