mixiユーザー(id:20653861)

2019年02月28日11:13

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間違いだらけのGESARAについての考え方。通貨リセットは電子通貨に移行するようなものでは無い。これではGESARAの意味はない。

GESARAを行おうとしてる世界同盟(会長青龍)は、あと3週間後に実施する宣言をしたようだ。いよいよお待ちかねの時代が来る。しかしその移行期間は一か月、もしくは半年くらいかかるかもしれない。
これからお金が無くなってどうなるのだろうか。心配は多いと思います。

しかし通貨リセットで、」その後は電子マネーの時代になるという愚かな者もいる。
馬鹿な話だ。何のためのGESDARAなのか。意味が全く分かってない連中だ。
電子通貨に換えてみたところで、今の状況はますます悪化していく事は確かでないか。

GESARAの目的は「貧富の差を無くす」ことだ。
これは今の中央銀行制で、お金を勝手に発行し、銀行がそれを貸して金利を捕る。これがおかしいことであり、銀行という何の生産性もない者がお金を手にする。そこから貧富の差の不公平が生まれる。
本来のお金とはものの交換の過程で品物に代わる仮の物である。これを貸したりして利ザヤを捕るのは本来の姿ではない。
ではこれを電子マネーにしたらどうか。
お金ならお金を入れる箱を用意すればいいが、電子マネーではそれを処理するシステムが必要だ。そのシステム管理で費用が掛かり、その手数料が必要になってくる。現状ではその手数料はお店が負担している。
処理する機会は無料でファイナンス会社がくれる。しかしスマホでその装置を使うと3パーセントの手数料が取られる。こんなもの中小の商店では負担が大きくてやってられない。この手数料でファイナンス会社が利益を得る。これは銀行の手数料と同じではないか。しかも電子マネーの方が金額が大きい。今より悪化するのである。
このようになると言ってるのはカバールのお生き残ろうとする陰謀なのである。通貨リセットで絶対にこのようになることは避けなければいけない。

お金が無くなるので、では代わりの物を、という愚かな人間が考えたことで、何の発展も生産性もない。
これからの世界を現実的に考えてみてください。
人類の過去の社会を考えればいい。どこまで戻すかである。
原始社会から組織ができて国家ができた。そこに政治というものが必要になる。これは民主主義でなければならない。民主主義とは国民が主体の政治である。決して政府が主体ではない。これは日本国憲法ではっきりとうたわれている。
ところがこの度の沖縄の辺野古はなんだ。民意の75%が反対。これは民意なので絶対に従わなければならない。それが政府は従わない。これが憲法違反なのである。

今の日本は民主主義は失われている。
まずこれをリセットしなければならない。
民主主義の根本精神は「助け合いの社会」だ。今は「奪い合いの社会」。
この変換がGESARAなのです。
奪い合いの社会になったために、人を殺してでもお金を握った人間が幸せになる。こんなバカなことが起こるのです。戦争を仕掛けて、たくさん人が死ぬ。その裏で兵器を打って大儲けをする国がある。それがアメリカ。ところがその戦争のために膨大なお金も必要だ。それを国債で借金していたら遂に天文学的金額となり、返せなくなって国が破綻しそうになった。
アメリカはそれに気づき,故ケネディ大統領が改革をしようとした。しかし暗殺されてしまった。長年潜伏したこのケネディ氏の思想は遂にトランプ大統領が実現させるために現れたのです。かれは必ず実現させます。
しかしこの通貨リセットは一筋縄にはいかない。先ほどの電子マネーなどの話も出てくるほど国民が理解できない。それほど人類は退化してしまったのだ。
通貨が無くなり電子マネーになる。これは余りにも幼稚な考えだ。今の通貨のあり方が問題なのである。とりあえず通貨を無くして別の形で流通を行う。
金本位の通貨は国際間の取引に使うもので、国民が使うものでは無い。
それは国民のGDPに相当する金本位の通貨など、その元になる金は今現在存在していない。世界は20京円近いお金が動いている。
1京円の金塊というと約240万トンになる。そうなると4800万トンの金塊などこの世界に存在しえない量だ。あり得ない。
高天原のニニギの金塊だって5京円と言われてるが、そんなにあるわけはない。
だから兌換の貨幣とは、国際間の流通のためで、国民が使うようなお金ではないのである。物資は配給に近い形で流通するのであろ。

この計画は大変な困難を伴う。だからGESARAには時間がかかっているのであろう。
第一段階はお金が無くなり、配給制になるだろう。
そこから国造りが始まる。
助け合いの社会とは各々の国民が、自分の得意とする仕事をし、それを組織立って「部」になる。その部同士のつながりで物資を流通しあう。自分が欲しいものはそれを扱う部に行けばいい。不足する物があればその部を強化する。国民は何不自由することなく生活ができる。そこにはお金は存在しない。
そんなバカなことができるかと言っても、今から1400年前の聖徳太子の時代はそうだった。聖徳太子は「聖徳太子講」によってその教えを広めた。幸せな時代だったのだ。

その聖徳太子の予言「2019年ごろ世界を救う人が富士に現れる。膨大な金が見つかり世界から貧乏が無くなる」と。
ここで聖徳太子が言う金とは金塊で、お金を意味するものでは無い。聖徳太子の時代にお金はなかった。
ニニギ尊の遺言「金は人類を幸せにする」。このことだ。

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