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mixiユーザー(id:20653861)

2016年06月07日16:06

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本能寺の変

本能寺の変とは明智光秀が織田信長を暗殺したことを世間一般は言っている。
実際は全く違うのだがそれはともかくなぜ本能寺の変というのか。場所が本能寺なので「本能寺事件」と言えばいいのではないか。

本能寺の変が起きたのは6月2日だ。
実際は織田信長が北朝派の明智光秀が邪魔になったので、豊臣秀吉に殺害させるためにわざと謀反を起こしたかのように仕向けた。
織田信長は天海上人に成りすまし江戸時代まで生き続けた。
実はこのできごとは歴史上よりも地球の変動を物語るものであった。いろいろなヒントがこの事件に隠されているのだ。もちろんそれがわかるのは私だけだが。それゆえこの事件を変と呼んでいるのである。

このとき織田信長に代わって本能寺で死んだのは後醍醐天皇の末裔穴山梅雪である。
彼は武田信玄の侍大将で爆薬の使い手だ。だから穴山という。彼の居城はすべてトンネルの中にあった。これこそ地底人だったのです。

この本能寺の変が起こった6月2日こそ、この地球のポールシフトの変動が始まる日だったのだ。
それは穴山梅雪の父の行動を見ればわかる。彼は「般若心経」を初めて解読したことでその名を遺す。それは今でも南部町の寺に保存してあります。
「般若心経」とは何ぞや。これこそ世の中の終わりのポールシフトのことを後世に伝えたものだ。
穴山梅雪は般若心経により当地の天の岩戸を開いた。に二ギは穴山梅雪の残した記録をもとに岩戸を開いたのです。
この天の岩戸開きこそポールシフト開始のスイッチだったのでした。
ニニギが埋蔵金目的でこの天の岩戸を開いたのは2004年6月13日正午。
このとき、ポールシフトのスイッチは押されたのでした。

このことは月神示にすべてが予言されてます。

「日本の真ん中スイッチ一つで世界が動くぞ」
「人類の神化した者が富士の岩戸をひらくぞ」
「ニニギの尊お出ましぞ」
「この方富士のお山に腰かけてしっかり世界をまもるぞよ」
「この方生命の謎を解くぞ」
「ラジウムぞよ」  (日月神示)

そして天地混ぜこぜとなる世界が展開するぞ。神をも助からんぞ。

これってまるでニニギのことを言ってるのではないですか。ここに言われてることすべてクリアしましたので。
そして日月神示によると、この後ポールシフトが起こって天地まぜこぜとなるという。

ここまで来ては偶然ではすまされない。
NASAの言う6月14日以降は急激なポールシフトが起こると。なぜ14日なのか。岩戸を開いた翌日ではないか。
富士の岩戸をニニギが開いて以来、6か月後に必ず大地震があった。この6の数字が大変重要な数字ではないか。今まで岩戸をいじって6か月後の大地震は3回あった。「スマトラ大地震」「四川大地震」「東日本大地震」だ。6が3回続いたことは4度目はあるか。いや。ない。
今度は新たな展開だ。

「6が3つ続くと悪魔のアンゴルモア大王が登場する」 (ノストラダムスの大予言)アンゴルモアの大王とはニニギ尊のことだ。しかしここに出てくるニニギ尊は破壊の大王である。ポールシフトは一気に進める。それが6月14日なのである。天の岩戸はニニギ尊のお墓であることを忘れてはいけない。私はそれを復活させた。ニニギ尊(アンゴルモアの大王)いよいよ本格的に登場である。

そして6月30日。6の倍数である。
この日私は青龍を復活させた。6000年間の眠りから覚めた。
青龍は人類の選ばれたものだけを助ける。彼は皇室専用の龍だからだ。

いよいよ6月30日。世界の人類が淘汰される。
生死をはっきりと天界は示すであろう。青龍はあなたの心を直接読み取ってくれるであろう。ラジウム石の放射線がそれを繋いでくれるのだ。

本能寺の変をでたらめの歴史小説家の記載をもって固定観念にしてしまった者たちは、もはや救いようはない。嘘の歴史観をなぜ捨てないのか。真の歴史は人類の行く末を示しているのだ。



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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月07日 21:49
    ニニギさま

    本能寺の変では、織田信長の遺体が見つからなかったのですよね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 00:06
    本能寺で爆死したのは穴山梅雪です。
    信長は彼の首を菩提寺の西山本門寺に信長の首として届けました。しかしニニギは寺の資料を調べて戒名からその首は織田信長ではなく穴山梅雪であることを確認したのです。教育委員会の人に頼んで調べさせました。
    穴山梅雪は信長が殺されて急いで静岡に帰る途中に東海道の京都で徳川家康と間違えられて族に殺されたと歴史に刻まれてます。その日は6月10日です。京都には墓もあります。
    しかしこれは別人であることが確認できたのです。
    ニニギは執念深く調査して、遂に穴山梅雪の本物の墓を発見したのです。それは何と穴山梅雪の居城の興津にある江尻の城跡にひっそりとあったのです。今は霊泉寺という寺になってます。そこには武田信玄の姉の夫穴山梅雪の墓と書いてあります。もちろん遺体は爆死したのでありません。彼の居城にお墓だけがあるのです。ニニギは涙が止まらず墓石を抱きました。
    するとそこには命日天正10年6月2日と書いてありました。歴史上は6月10日。おかしいではないですか。この墓は梅雪の城にあるので間違える事は有り得ない。
    6月2日と言えば本能寺の変の日なのです。だから本能寺の変で死んだのは穴山梅雪だったのです。信長は彼の首を信長の首として西山本門寺に届けて、自分が死んだことにしたのです。 今も西山本門寺には信長の首塚があります。しかしその首塚の横には謎の宝物殿があります。明らかに皇族の。この中には後醍醐天皇の八男の遺品がしまってあるのです。記録では南北朝争いから逃れ、僧侶になったと。それが西山本門寺。その子孫が穴山梅雪なのです。
    この話はまだまだ続きます。ニニギのキャンプ場にまで関係してくるのです。だから天の岩戸があるのです。
    日本の歴史は全く間違えてます。デタラメです。ニニギは全て証拠を持ってこの謎を解明したのです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 00:13
    この複雑な高天原の歴史が、世の中の終わりへと通じてくるのです。
    何の根拠もなく世の中が終わると騒いでいる連中とは全く違うのです。
    正確な天の定めによって起こることなのです。
    先入観は全て間違ってます。早く捨てて、自分の知能で考えて下さい。他人の言うこと全てデタラメです。 自分の欲望で考えているからです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 00:44
    織田信長はその後天海上人になりすまし徳川家康の参謀になりました。
    それが分かる事件があります。
    関ヶ原の戦いで徳川家康の参謀の天海上人はなかなか徳川家康か石田三成か、どちらにつくかはっきりしない小早川秀明に対して天海上人が走り、鉄砲を見せたら一気に徳川家康軍につき、勝敗が決まりました。
    鉄砲は両軍共に持ってます。「鉄砲を見せた」の意味を誰も気が付きません。
    鉄砲は織田信長の得意なもので代名詞のようなもの。
    即ち信長が自分の顔を見せたのです。それで徳川に寝返りうったのです。
    「小早川。わしじゃ。徳川につけ」の一言です。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 10:53
    なるほど〜

    なんだかファンタジー感満載ですが事実なんですね。
    ジブリの千と千尋や、もののけ姫とか現実にありそうな気がしてきました…
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 15:46
    織田信長が死んだとされている本能寺の変はグレゴリオ暦にあてると、1582年6月21日になる様ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月08日 17:01
    新たなリセットですので大惨事になることは避けられないと思いますよ。

    人類に都合がよいようには地球は進みません。
    自然放射線に同化し地球とともに動けるようになるといいですね。先が見えますので。

    この織田信長のことはすべて事実。その確たる証拠が残っているのですから誰も否定はできませんよ。
    この穴山梅雪という方は徳川家康が最も尊敬した人物。それは後醍醐天皇の末の皇子の子孫だからです。彼を守ったのは天皇の騎馬部隊。穴山率いる「佐野の千頭の騎馬部隊」は武田信玄を無敵の将軍へと持ち上げました。その騎馬部隊を指揮した佐野家こそニニギのキャンプ場の地主。もともと応神天皇の皇太子、大山守皇子の子孫です。奈良に人質の4男の仁徳天皇を置き、富士に都を築いたのです。
    そのために徳川家康は穴山の領地静岡を引き受けて、嫁に梅雪の娘をめとりました。それが「お満の方」です。その子供が水戸黄門で、「梅里」と名乗りました。水戸黄門の全国行脚は大嘘。彼はずっと祖父梅雪の眠る西山本門寺にいたそうです。そして西山本門寺の日蓮さんのお墓に「菊の御紋」を入れたのです。西山本門寺の日蓮さんのお墓は皇族のお墓になってます。
    また時代が経つとともにこのことは忘れ去られて、後醍醐天皇の末の皇子の古墳は今は寺のゴミ捨て場になっておりました。何たることか。
    でも日蓮さんが植えたイチョウの木は今も「イチョウA」と「イチョウB」と呼ばれて県の天然記念物に指定されてます。大きなイチョウの木が枝を地面まで下して、中に入れはイチョウの木に抱かれます。とっても気持ちのいいものです。この木に聞けば織田信長の真実をすべて教えてくれますよ。木の中にベンチがあるのでそこで寝そべればいいのです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月09日 13:22
    信長は地下に身を隠していたんですね、私も遺体が見つからないんでおかしいと思ってたんですよね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月10日 11:32
    織田信長はそのまま本能寺の住職天海上人に成りすまして100歳以上まで生き続けました。

    この天海上人を明智光秀だという馬鹿がいますが、本能寺の住職なのですから明智光秀のわけはありませんし、信長より10歳年上なので110歳まで生きたことになりありえない。それ以上に徳川家康の指南役として江戸城を築いて川越の喜多院にいたといわれる。でも実際は群馬の世良田の東照宮にいて、いつも家康と碁を打っていた。
    大体南朝の家康が北朝の光秀と仲がいいわけはない。明智光秀は北朝で朝廷とつながっているために信長が利用しただけです。すべてがうまくいったので光秀が邪魔になり秀吉にに処分させたのです。ばれないように「謀反を起こした」ことにわざとしたのです。
    だから秀吉がすぐに表れた。最初から隠れていて、毛利攻めナド行ってない。毛利は信長の命の恩人で、最も大切にしてる人だ。
    長慶天皇の末裔は毛利家がかくまっていた。この方こそに二ギの先祖だ。

    その名は「三次江田入道」といった。以前は我が家に系図があったのだが、明治になって処分した。

    このような社会の動きが未来の地球の大変動を予告したものなのです。

    ポールシフトの秘密は織田信長にあり。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月10日 11:46
    > mixiユーザー 

    穴山梅雪の遺体はあったのですが、爆薬で木っ端みじんにしてしまったのです。
    でも首は故郷の静岡の西山本門寺に信長の命令で「信長の首」として届けられたのです。
    その後穴山のご領地静岡は徳川が変わって管理し、その娘を嫁にしたのです。

    穴山梅雪は徳川家康にとって最も大切な方だったのです。
    般若心経を解き、この世の終わりを告げた方だからです。

    仏教とは聖徳太子が説いた「未来記」から始まるこの世の終わりを告げる高天原の教え(ニニギ尊の教え)を説いたものです。

    般若心経をもう一度見直してみよう。ニニギもわからないのだが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年06月10日 23:29
    > mixiユーザー 

    大変です。
    必ず天変地異がありますよ。
    東日本大地震の前、富士の笹が一斉に花を咲かせ、枯れてしまいました。笹がない不思議な森がありました。

mixiユーザー

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