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2020年05月30日18:53

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河内見聞記供27 大航海で一挙にマカオへ飛ぶ(1)

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巣ごもり下の愉しみに始めた夢想、初回の「曲阜」から3カ月経過。黄河流域から南米、さらにイベリア半島へ飛んだ。リスボンの港から東へ西へ出帆した大航海時代の冒険家達、宣教師達。今回、私の眼は東に向いた。ゴア、マラッカからマカオへ東進。各地を植民地化し、黄金の国「ジパング」を目指して行った。やがて種子島に到来し、北上し、安土や大阪で信長や秀吉に会うため堺へ至る「線」が出来上がる。現在なら中国周王朝「一帯一路」の一路の意味する、「海上のシルクロード」のオリジナル版と言ってもいい。先週リスボンの「ベレンの塔」の位置で、遥かオリエントを見晴るかした折、マカオだけが脳裏に浮かんだ。それもそのはず、喜望峰もゴアやカルカッタ、マラッカも私にとっては種子島も未踏の地なのだ。

マカオ、自分とは並みでない相関があると今改めて思う。ここらで一度まとめた書き物を遺しておいてもいいと思うに至ったのである。
◆初めて意識したのは、90年代大阪で海外営業を担当し、中国を駆けずり回った時期、広州から更に南下の際だろう。孫中山、孫文の生地・中山から珠海へ至り、渡し場からマカオを眺めた。香港―マカオと一対なのに脚光を浴びない町。余韻が残ったのを覚えている。

◆10年後、東京勤務の際の夏休暇。タイ一人旅を挙行。日程にアユタヤを入れた際に、江戸時代の英傑・山田長政と向き合った。遠藤周作の「王国への道」の主人公藤蔵、後の長政はマカオを経由している。聖パウロ天主堂周辺の語りが頭に残った。が、まだ想像の世界だ。

◆2010年、言語学を学ぶため渡豪の直前、しばらく別れて暮らす妻と華南地方を旅した。その際、中山の孫文記念館から上記渡し場へ至り、フェリーでマカオの地を踏んだ。二泊滞在している。半日フリーで歩いた。珠海日記で「見失った坂道」を探しまくっているが、歴史保存地区を、ほぼ徒歩で散策している。

◆2017年2月、珠海で日本語教師として半年勤務した際、一度目の一泊旅行をした。中心のホテルに泊まり、しっかり歩き、写真を撮り、手記も残した。マカオの位置、地理がほぼ把握されたが、探し物は見つからなかった。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958627390&owner_id=20649087

◆2017年4月、その2か月後二度目の訪問をしている。暖かい晴天のマカオの散策を楽しんだ記憶が濃厚に残っている。そして探し物も見つかって満足して宿舎へ帰った日の情景はかなり明瞭に脳裏に残る。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959714518&owner_id=20649087

(つづく)


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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月30日 22:54
    私が最初にマカオに出会ったのは、高校生の頃、テレビのバラエティ番組で「マカオのオカマ」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ)を聞いたのが最初です。実際のマカオ訪問は1981年12月ネパール勤務から帰国の途次に1泊して、絵葉書の名所を回っただけです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月31日 09:49
    > mixiユーザー ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、じゃあ回文で返します。まさかさかさま?! 絵葉書の名所だけでも十二分の見応えありますよね。それと下町情緒ある周辺の街には、香港とは違う庶民の味なんかあって、私は香港より好きですよ。殺された金正男兄貴が愛着を持っていた街です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年06月10日 21:48
    > mixiユーザー その秩序のないところが私は好きですよ。そもそも日本人の存在しない世界ですから、我々の関与しない多文化の結合の有り方なんでしょう。簡単に言うと、「ヘエ―そうなんだ。」の世界ですよね。教会の前のタイル地の横にお化けみたいなゴミ入れの写真、変ですがある意味面白いかも。。

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