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2020年05月16日22:19

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河内見聞記供24 ブラジルから大西洋越えてポルトガルへ(2)

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サンパウロからリスボンへ飛んだのは2006年6月15日、帰国の一年前だった。当初から意図していたわけではない。前年に会社生活30周年を迎えていて、福祉制度の一環として夫婦での旅行に補助がでたのである。それで翌年旅行することになり、どこにする?→ 久しぶりに欧州でも→ 未だ行ったことのないポルトガルはどう?、ですんなり決まったように思う。妻は日本からのツアーに参加し、私が現地で合流する形を取ったのである。

実はもう一度記憶を辿っていて思い出した。1994年頃、ミラノに駐在の後期に一度リスボンへ輸入製品を探しに出かけていた。成果もなく、1,2泊の出張でほとんど記憶にない。ただ既に肌に沁みこんでいた西独や北イタリアの豊かさとは隔たりの有る、欧州最貧国とのイメージはかすかにある。ただ具体的に思い出せるものは一つもないが。

いつものように写真を探したが、リスボンでの自由時間のものが10枚くらい見つかっただけ。がっかりである。尚も探していると、「30周年旅行」とのメモの付いたファイルが見つかった。旅程表やツアー代金の領収書などがあり、詳細な内容が詳らかになったのである。観光の名所旧跡、食事の場所や料理、ホテルの詳細などが一覧できるものだ。因みに当時、かの地に7泊している。それとブラジルで買った旅行案内も引っ張り出して、じっくり読み込んでいった。時にその場の状況を想いながら、リスボンからナザレ、ファティマ、コインブラ、北の主要都市・ポルトまで北上する。それから高速列車でリスボンへ引き返し、首都を観光、最後の日はリスボンで自由行動。私たちは汽車とバスを乗り継ぎ、ユーラシア大陸最西端のロカ岬まで足を延ばした。断崖絶壁の荒地に灯台や記念の石の塔があり、防衛省の建物で、欧州最西端到達の証明書なるものを頂いた。

さて昨日書いた、ポルトガルそのものへの興味であるが、いつ読んだか思い出せないが、記憶にある本がある。司馬遼太郎の「南蛮の道機↓供廚任△襦5曚すまれるように読んだ記憶がある。赤線のたくさん書き込んであるポルトガル編をもう一度読んでみた。今でも興味深い内容がある。例えば、どうしてポルトガルとスペインはイベリア半島という島のような一つの土地に何百年も併存しているのか。言語はどうみても同根で方言並みに極めて類似。性質は別にしても、外見もよく似た民族でもある。歴史的に半島丸ごとイスラムに奪われたものを、キリスト教文明が取り返す“レコンキスタ”(国土再征服)の際に、先ず現在のポルトガルの位置にフランスから来た人々が独立を成し遂げ、スペイン側は随分遅れた史実にその解があるとの見立てである。それがその後何百年も国家として永続している、異なる民族の血が流れていると。

それと興味深々なのは、ポルトガルの最盛期、つまり大航海時代の地球規模でのスペインとの間の鍔迫り合いの一部始終がある。それには15世紀のエンリケ航海王子の存在があり、彼を生んだ英国王家から輿入れの母親の影響なくして起こり得なかったという遠因もある。エンリケが導いた大冒険は次の16世紀にバスコ・ダ・ガマのインド到着、更にマラッカ、マカオへと伸び、1543年到頭彼らは、種子島にやって来るのである。そしてガマのほぼ同時期、西へ向かったカブラルがブラジルに到着するのが1500年、世界は同じ時間軸で動き始める。だが日本とポルトガルは、鎖国以来別々の道を歩み、凡そ300年間希薄な関係の国になってしまった、これもまた不思議なことと思わざるをえない。

ガラパゴスの動物のように、現代日本語に残る、ガラ・ポルトガル語の数々。パン、テンプラ、カルタ、カステラ、ベランダ、メリヤス、ビロード、ボタン、ラシャ、マント、ジュバン、カッパ、オルガン、タバコ、コンペート、ボーロ、カルメラ。。。ポルトガルの民謡ファドのしらべのように、哀しい想いが湧いてくるのはその背景を辿った直後だからなのだろう。 (つづく)


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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 17:03
    スペインに行ったのは10年ほど前
    どこも金ぴかの教会があった
    それは世界に向けて船をだし金銀をぶんどって他国の文明を破壊し地塗られた歴史の代償のように思えてならなかった
    やがてスペインの国旗に変わってユニオンジャックが世界のあらゆる土地にはためいた
    ポルトガルは時代の彼方に押し流されていくけれど何故かそこに懐かしい素朴な時間があるような気がした
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 17:29
    ポルトガルには行ったことがないけれど、アジアのポルトガル植民地だった場所へは行ったことがある。
    インドのゴア(1981年3月)、マカオ(1981年12月)、マラッカ(1996年2月)。パライゾさんの日記に触発され、私蔵のデータベースである歴年の手帳を紐解いて、あの日あのときを思い出した。何かの縁で今はマラッカに居住。どこかでポルトガルに繋がっているのか・・・
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 17:57
    コンバンハ

    カタカナで表記されているものは、全て英語だと思っていた子供の頃。
    改めて見ると、多くのポルトガル語が日本語になっているのですね。
    その いくつかが、植民地時代の影響か韓国でも使われています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 18:47
    > mixiユーザー それは事実ですよね。歴史の暗い一面で。。多分今でも欧州の後進国で苦労しているようです。また司馬遼の言葉で恐縮ですが、元来穏やかな性格の民で、内気でシャイ、スペインが征服の際、自らの文化を押し付けて来たのに対し、接するに微笑をもってしたとか。リスボン、ポルトにその雰囲気残ってますよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 18:51
    > mixiユーザー そうだと思います。是非一度本国へ行ってみてください。日本にないカステラや、マカオにないエッグタルトも味わえます。イタリア、スペインもですが、海鮮料理がまたいい。是非!
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月17日 18:55
    > mixiユーザー 言語の面白い側面ですね。韓国語に隠れている日本語限りないですよね。中国にしたって、明治の新概念の多くは日本語経由で取り入れ、今は自分の発明みたいな顔してるし。。

mixiユーザー

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