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2020年02月21日09:12

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仏の顔も三度まで

私は無神論者…と言うか、信仰としての宗教には全く興味が有りません。
偶に町中で勧誘らしき事が有っても、鉄の意思で(笑)一切聞く耳を持ちません。
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さて
信仰は興味有りませんが、寺社に行くのは好きですし、歴史的側面は興味が有ります。
そうしたことで、昔から思っていた事が有ります。

平安時代に最澄が天台宗、空海が真言宗を伝え、鎌倉時代になると法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、栄西が臨済宗、道元が曹洞宗、日蓮が法華宗、一編が時宗を伝えた事を小学校の社会科で習いました(教義の違いは分かりません)。

この後の時代になると、普化宗(虚無僧で有名!)や黄檗宗なども拡がりましたが…
では、天台宗や真言宗以前に広まっていた仏教とは?

蘇我馬子と物部守屋の崇仏論争も有りましたし、聖武天皇により全国に造られた国分寺、国分尼寺はもちろん仏教の寺院です。

しかし、前述以外の宗派名を耳にする事は現在殆ど…いや、全くと言って良いほど有りません。
天台宗以前の仏教には、○○宗という名称は無いのでしょうか?

昔から思っていたと言っても、偶に思い出す程度で、すぐ忘れてしまい、なかなか調べる事も無かったのですが、先日思い出した機会に、すぐ調べてみると、呆気なく出てきました。

南都六宗と呼ばれ、三論宗、成実宗、法相宗 、倶舎宗、華厳宗、律宗だそうです。
聞かない名前だ…

それもその筈、この時代の仏教とは、仏教の教理研究や国家鎮護の側面が強く、民衆(この時代の民衆とは農民の事でしょうか)が救いを求めるようなものではなかったのでしょう。
華厳宗総本山とされる東大寺において、真言宗の真言院が置かれるなど、密教の影響を受け、現存するのは法相宗、華厳宗、律宗だけなのだとか。

そして当時からこの宗派名で呼ばれていた訳ではなく、平安仏教が広がってから、対比でそう呼ぶようになったという事です。

桓武天皇が長岡京、次いで平安京に都を移したのは、旧来の仏教勢力から離れたいという事も有ったようで、奈良に残された南都六宗は平安仏教、そして鎌倉仏教に押されていったという事でしょう。

という事は、仏教伝来は飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代の3回に大別出来ると言えるかもしれません。

因みに「奈良=なら」とは、傾斜地が少ない土地から「平らに均す」の「なら」が語源なのだとか。
だから平らな地の都が平城京であり、「平城」で「なら」とも読んだそうです。

関東平野に住んでいる私から見ると、奈良って平らかな?という気もしますが…

ところで、南都六宗の南都とは、京都に対しての奈良の呼び名です。
もちろん南斗聖拳や聖帝サウザーとは無関係です。
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さて
写真は仏教繋がりで、アメ横の摩利支天こと徳大寺です。
京浜東北線北行の窓から見る度、今度行ってみようと思っていました!
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