萩原流行さんが逝っちまった
不運だったのか・・・・
単車は無防備って言葉を反芻している。
僕には同い年の従兄弟がいて こいつがなかなかのやんちゃ者で
幼いころは僕とよく対比されたものだ
彼は高校の時 単車やら車で暴走族
なので僕は避けていたけど 彼は僕と会うと
しっかりやってるか
なんて励ましてくれたりして
そんな彼が更生して 都庁に就職したときは びっくらこいたが
僕も遅れて東京に就職したとき
遊びに来いよ
なんて言われて行ったら
寮の表札には井上陽水とあって
中に入ったら 押入れはぶち抜きのでかいスピーカーが置いてあって
泊まった翌朝は目覚まし時計の代わりに 陽水さんの「氷の世界
」が大爆音で流れてきて
スポーツカーも持ってたけど 基本の移動手段はカワサキのナナハンで
やっぱ私生活は不良だった
彼のナナハンの後ろに乗っけてもらったりして ディスコとか連れてってもらって
純朴な僕も普通の青年へと成長していったみたいな
なので僕は鹿児島へ帰ってきたとき いつかはナナハンと考えてて
30過ぎてから免許を取った
けど10年で3回ほどこけた
1回目は不慣れなとき近所の交差点で けどそこには幼稚園バスの迎えの近所の若奥様たちがいて フルフェースをかぶったまま起こして退散
2回目は地方の役所周りをしててオーバーラーンして 救急車に応援をしてもらった
3回目は全長2キロほどのトンネルの中で 前を走ってた車が急ブレーキをかけたので ひっくり返った
前後と対向車がしばらく止まって僕を偵察してたが 僕は血だらけの膝を我慢して走り出した
この時は悪い仲間に一杯
くわされてたので仕方ない
ここで家族からのドクターストップ
それ以来 乗ってないが いつかはBMWの単車に乗りたいと常々考えていたけど
流行さん 今日 完全にあきらめました。
ご冥福をお祈りします
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