mixiユーザー(id:20556102)

2021年03月10日06:25

600 view

二項対立は良き思考法か?

↓ 内野光子さんのブログより(2021.3.3)。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/03/post-794792.html

それでつまりあなたは何を言いたいのか? と言いたくなるような文章だがそれは措いて、気になったのは「近年の、二項対立を嫌う『リベラル』な人々のファージーな物言いを見るような気もする」という一文である。これは谷川電話の「赤旗」紙上(2020年12月25日)の短歌時評についてのコメントなのだが、これまた何を言っているのかよくわからぬ一文だ。

しかしこの一文を裏返せばよくわかる物言いになる。つまり、内野さんは二項対立を良き思考法だと考えている、ということだ。

あんれま。積み重なる二項対立の思考群をいかに超克するか、ということがテーマとなって久しい。その日々は全く存在しなかったかの如くではないか。

で、なるほどと思うところもある。歌会始などをめぐる内野さんの文章[*]を読んでいると、内野さんはこの社会の成員を「われわれ」と「あいつら」に二分しているらしい、と感じるからだ。例えば岡井隆は60年安保闘争の同伴者だった頃は「われわれ」の側にいたのに、歌会始の選者に就任するに至って、「あいつら」の側へ行ってしまった、というように。ものすご〜くアバウトな言い方だが、そんなふうに思えるのだ。「われわれ」と「あいつら」。確かにこれは二項対立である。そして、この二項対立は政治の話、それも相当に粗っぽい政治の話から生起するものであって、文学の話から生起するものではない。

たしか1980年代頃まで「われわれ」と「あいつら」の二項対立はこの国の左翼に共有されていた思考法だったのではないか、と記憶する。当時、韓国の左翼の人々は「われわれ」と「あいつら」の関係のチャート化を試みているという、われらもそれをやってみようではないか、と某新左翼の党派の理論的指導者が言っていたのを聞いたことがあった。

この二項対立を前提とする限り「共同幻想」などというのはいったい何を言っているのかさっぱりわからぬ、ということになるだろう。ワンポイントの記憶だが、さかのぼって1970年代前半の頃、「吉本隆明氏は何と闘っているか」という吉本批判が「赤旗」に掲載されていて、幻想と闘ってるんだよ、むなしいことだよと言うつもりなんだろうね、と友人と話題にしたことがあった。

[*]内野光子『短歌と天皇制』『現代短歌と天皇制』


【最近の日記】
疾走する「熱情」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978621281&owner_id=20556102
疾走する平均律
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978612052&owner_id=20556102
ひとがたと称べばかなしも
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978567437&owner_id=20556102
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年03月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031