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2021年02月27日06:12

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「月経」は忌むべき歌材か?

あれが最後だつたかもしれず地蔵会(ぢざうゑ)が中止になつた夜の月経

あらためる、引き締める意もあるらしき更年期の更の字を見なほす

ベテルギウスの爆発か吾の閉経かどつちが先なんか知らんけど

…勺禰子「夜の佐保川」(第66回短歌人賞佳作、「短歌人」2021・1)30首の13首目〜15首目。

禰子さん、このたびはがんばって練り上げた一連を出したなあ、と感心して読んだ作品だった。

ところが、選評を読むと上記3首にマイナス評価が多く付いたらしい。「13首目から15首目へ特に女性の委員を中心に強い拒絶反応も出た」(生沼義朗、選考経過報告)「私は構成力にすぐれる勺作品を推した。15首目など面白いと思うが、『月経』『閉経』の歌への拒否反応は強かった」(斉藤斎藤)など。

上記3首がなぜ拒否されるのか、僕はどうもよくわからなかった。そして、ふと浮かんだのが「赤不浄」という言葉だ。男女平等などという近代の理念よりももっともっと根っ子の方にある、差別の根源にかかわる“穢れ”を指す語である。「更年期」という語もその延長上で歓迎されなかったのだろう。“穢れ”は、人間が“魂”以前に先ず“自然存在”であることが露わになる場面に由来する。「黒不浄」またしかり、である。

とすればこれは相当に根の深い問題だと言わねばならぬ。同じ題材を詠んでも、〈君が死を聞きし夜より通夜までの四日間吾に経血のあり〉(玉井綾子)[*]などという詠み方なら、まだしも抵抗は少ないのだろう。「経血」は精神的なものまでをも含めた衝撃の引き立て役という位置で働いているからだ。

歌はハライタマエキヨメタマエという具合に“祓う”側に発祥した、という感覚を持つ読者にとっては、祓われる側に定位して詠まれた歌は受け容れ難いのではなかろうか。「鬼も内(りりん)」[**]のコメント欄でakvoさんへのリプライとして、「これはやはり鬼はケガレで、ケガレは祓うべしというストーリーに乗るか否かという、相当に大きな問題に連なるのでしょう」と僕は書いたが、斯くて鬼の詠む歌もまた受け容れられないのではないか。「追儺豆打つ手力のおとろへし」という自作の解説にて、大石悦子さんは、豆まきとは穢れを祓う儀式である旨を明瞭に書いていた。[***]

祓われた側は詠わないのか。僕はこれからもこの問いをずっと大切に抱き続けたい。上記3首を敬遠するようなお方は視野から遠のけるか、あるいは意を決してその根っ子に存在する初発の差別を糺すか、いずれかの対応を取るのがよろしかろうと思う。

[*]https://sunagoya.com/tanka/?p=23944
[**]https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978290667&owner_id=20556102
[***]http://furansudo.com/archives/18942


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