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2021年05月18日18:02

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「いま ここ」に佇むということ の 生理現象」

瞑想脳を拓く 有田秀穂・井上ウイルマ 佼成出版社 2007.7.30刊 ほか
 
「いま ここ」に感謝できる、喜びの実感につながる道。

それは、呼吸、咀嚼、歩行などのリズム運動をやっていると、脳幹のセロトニン神経を
活性化させることで体験できる。自転車こぎや、ガムを噛んだり、階段を昇降したり、
スクワット運動など、すべてのリズム運動でそのセロトニン神経が活性化する。

ヒトの脳は、覚醒時、β波を出しているが、セロトニン神経が活性化すると、α波が混じるようになる。

たとえば、吐く息、吸う息に注意を集中して呼吸する(仏教で、「止観」の
止にあたる)。
とか、1回生の心理学の最初の授業で、眼をつぶらされた状態で、先生が時々リン(鈴)を鳴らしながら、「ひ〜〜と〜〜つ〜〜う〜〜〜う〜〜〜う〜〜、ふ〜〜た〜〜つ〜〜う〜〜う〜〜う〜〜〜う〜〜・・・・・・」と数えるのに合わせて息を吐く。リンを合図に息を吸う。
自分で、う〜〜う〜〜う〜〜〜と息を吐きながら数を数え、うなってもよい。

腹式呼吸で、息をゆっくり吐くことを主体に腹筋を収縮させるリズム運動を行う。

α波が混じるようになると、スッキリとした爽快感、カタルシス状態になる。
覚醒している状態でありながら、副交感神経をものすごく興奮させている状態。

ヒトの脳内には、共感能力というものがあり、共感能が動いたとき、「涙」が出る。
「涙」の後の爽快感も、同じα波の混じった状態である。

しかし、セロトニン神経には、自己抑制の受容体が備わっていて、カタルシスの爽快感は、やがて、消える。初心者の呼吸から入った座禅の効果は、1時間続くだけ。

しかし、呼吸法を毎日続けて、セロトニン神経を繰り返し刺激し続ける(これを学習という)と、セロトニンの自己抑制受容体の数が減少して(遺伝子レベルで変わって)、恒常的に弱まる。
セロトニン神経が、いつでも高い活動レベルに維持されるようになる。(こころを耕すことで、到達する状態=これを修行という)

その行きつく先は、時間も空間も言語による思考もまったくないという感覚として、体験される。
直感的な理解が前面に現れ、感性が研ぎ澄まされてくる。「無の境地」 

1回生の秋、スキー部の合宿で、農学部グランドから(京都国際会館のある)宝が池まで行って戻ってくるマラソンのとき、行きの途中からランナーズ・ハイになって、いつもと違って、以後足も軽く走破したことがあった。これもセロトニン神経のご利益だったのだろうか。たった一度きりの体験である。

以前、東大の仏教学の教授の本で読んだ。若いころから座禅をやっていて、あるとき、爆発が起こった。その快感は、「手の舞い、足のふむところ」となり、1週間とか10日続いた。
修行を積んだ禅の坊さんたちは、このimaような爆発は、まだ本物の「悟り」=「禅定」ではない。
深いところで、対象と一体化していることを忘れない、静かな状態が禅定だ、と。


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