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2019年12月14日00:49

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マイノリティ問題について。

■女子トイレ使用制限は違法=性同一性障害の経産省職員勝訴―国に賠償命令・東京地裁
(時事通信社 - 12月12日 17:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5899541

見た目が女の人にトイレ入って来られる男の人の感覚としてはどうなのかも気にはなるけど、体が男なら生理的なカテゴリー分けは男側で然るべき。
この場合は「だれでもトイレ」を使用してください、という事で解決かと思いきや、それが設置されてないところでどうするかの問題ですよねぇ。
まぁ狭い職場なら周りの人次第ですけどね。
いずれにせよ、トイレという公共施設なら個人より大多数の人優先なのは現実的に仕方がないです。
それは差別ではありません。

トイレの問題でいうと、過去の二点ほどの事例について述べたいと思います。

以前、被災地に生理用品を支援で送るのがそういった人達への配慮ということで無しになった件は、本当に理不尽さを感じて強い憤りを覚えました。
どんなに心が女でも、体が男であれば生理は来ませんよね。
そういう人達が生理用品を自分たちだけもらえないと不満だとでも言うのでしょうか?
その件に関しては当事者(心が女性で体は男)の人たち自身がそんなことを言ったとは考えづらい(と思いたい…)ので、行政がそういった面倒なことを避ける意味で勝手に先回りして取りやめにしたのではないかと思いますが、
バカなの????
と言わざるを得ないです。
その時は被災地で実際に困っている生理中の女性たちに届けることが最優先であることは自明の理ですよね。
男性にはなく女性だけの支援物資だということなら察してだいたいの人は分かるはずで、そこで察することができず不満を言う人には説明すればいいことです。
少数の方の体と心の性別が一致しないことへの苦しみを慮ることはその状況では優先されるべきことではなく、それはマイノリティ本人たちも主張すべき場面でないことは分かっているのではないでしょうか。
もちろん、少数意見も尊重されるべきというのも民主主義国家においては重要ですが、
それによって大多数の人々が現実として困る(この場合、そのせいで必要なものが支給されない)というのは得策ではありません。それはむしろ逆差別です。

あと、もう一つの件。
受験の書類で性別を記入する事に違和感があるから記入義務をなくそうという動きと、それによってのトイレ問題。
これだって差別ではなく現実問題、会場におけるトイレの需要の数の把握にとても困りますよね。
そこは体の性別で分けるべきところでしょう。
そこに違和感だとか気持ちの問題は全くもって無関係です。単純に排尿・排便の方法でわかれるんですからトイレは。
だから差別じゃないってば。そこは区別なんですってば。と言わざるを得ない。

そこから派生している問題として、性的マイノリティとは別の、社会的マイノリティに位置づけられる障害者(「がい」をひらがなや別の漢字で書く傾向がありますが、これは決して本人を害だと言っているわけではないので、言葉の使い方に拘る者としてこの従来のままの漢字で書かせていただきます)の人達の主張についても書かせていただきます。
名古屋城の木造再建において、障害者の人達がエレベーターを設置すべきだという意見を呈しているせいで歯止めがかかっている件で。
何を勘違いしてるんですか?全く別の問題なんですよと。
そもそも建築当時の復元をしようというコンセプトでエレベーターをつけられないというのは差別でも何でもない。だって当時はエレベーターなんかないんだもん。
そもそも、(城って時代によってその役割は変わるとはいえ、)城塞というのは屈強な健常者である武士に陥落させられまいとする様相で造られた建物であるわけですよ?
それが障害者に優しい施設になるわけがないと思うんですけど。
健常者だってエレベーターあった方が楽なのは当たり前だけど、そこを「のぼりにくい」様相に復元しようっていってるところへバリアフリーにしろ!ってのは無茶であり、そもそもコンセプトが分かってない。
例えば世界遺産の山頂への道中とかに「なんでエスカレーターがないんだ!」とは誰も言わないでしょ。それくらい見当違いな主張。
だけどそんな見当違いな主張に対してそうきっぱり言わない行政側の問題が大きいと思う。
要は観光施設にするのか?歴史的建造物の復元に拘るのか?の問題で、地元民としてもっと大きな目で見ると
河村市長vs大村県知事 の対立に利用されている
というのが本質かと。
歴史好きとしては、観光施設としてでなく歴史的建造物としての価値を尊重してほしいけど。
だって観光施設としての現在の名古屋城の価値は低いと思うよ?だからこそ復元しようってのもあると思うし。

とにかく私が言いたいのは、
最近取り立たされるマイノリティの人達が主張することって、論点がズレてないか???
そしてそれに対応する行政の論点もズレまくってマジョリティが生活しづらい状況になってないか??
ということです。

実は杉田水脈議員のかつての発言も、納得できる部分はあるんです。少数派に税金かけるより、多数派にかけるべき、という。細かいところは少々乱暴なとこはあるので全面的に賛成というわけではないですが、それはマイノリティ差別とは別の論点からも解釈すべき意見なのではないかなと私は思います。その上で賛成か反対かと論じられるべきであって。性的マイノリティが気持ち悪いなんて一言も言ってないわけですから。多く目にした批判記事の方がそういう差別意識を感じられるものだったように映りました。
私も当時別のところで批判的なことを書いてしまったりもしましたが、全文を読まないうちに軽々しく書いたことを反省しています。

理想としてはそりゃ、少数派の人達の希望も叶えられ大多数とも共存できる社会が理想ですけどもね。

追記:逆に、障害者特権もあるわけですよね。最たるものがパラリンピック!これはとても存在意義のあるものだと思います。そこでは「障害」ではなく、「その体の部位が取り替えられるの有利じゃん!」て感覚になる。
そこに健常者も出せ!なんてことを言う人が居たらおかしいと思いますよね。そもそも健常者には普通のオリンピックがあるわけだからそんなこと言う人は居ないけど。

あと、ちょっと別の話になるかもですが、
子供を作っておいて戸籍上の性別変えろっていう人もテレビでやってるの結構前に見たことあるけど、
子供たちの父親を母親に変える義理は行政側はないと思いますよ。親であればどっちでも権利的には問題ないわけだし。そこは子供達が存在を理解してくれてれば充分じゃん。良い子たちに恵まれてるのにどこに不満が?と感じましたよ私ゃ。

…むしろ私なんかの性的マジョリティは恋愛対象を広げられないからそういう機会が少なくて不利なんじゃないかと思う今日この頃w
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