東北は近代に入って同じクラスの津波にやられています
やられていますがその時方言はどうだったのでしょうかね
過去には維持できて現代では困難だという違いはなんでしょうかね
さて、
方言は…言葉は変化してゆくものだとも思ったりもします
方言に経歴ありとはいえないでしょうか
ある意味消えてゆく方言すらも歴史かもしれません
近くはテレビ放送による標準語がずいぶん浸透し方言が薄れる役割りを果たしましたし
明治政府による標準語を教育か組み込んでしまっていたり
徳川幕府の成立のあと、藩主鉢植え政策で方言はあちこちでシャッフルされ融合し変質しているはずです
いや、藩の行政組織の武士団が切り替わるだけでその領内の方言が変化を受けるかという疑問もないことはないですが…
広島県に広島市と福山市があります
広島市はいわゆる安芸、福山市は備後になります。
同じ広島県ながら意外に言葉が違います
広島は語弊がありますが仁義なきなんとやらのような言葉で、福山は名古屋弁系統の言葉です
その隣近所の岡山は別に名古屋系統の言葉ではありません
一説によれば中国地方は西日本弁という方言体型をベースに語尾の変化など様々なvariationがあるとも言われています
福山だけがなぜ名古屋系統なのかというひとつの仮説に、福山は徳川の普代、水野氏がきました。
外様の毛利と浅野の監視と岡山、兵庫との分断などいろいろ理由はあるのですが
福山に最新鋭の天守閣を擁した要塞建設にあたり三河から職人、商人をたくさん連れてきて福山統治をはじめました
この影響は強いのではないかと思います
他に
広島市のすぐ近くに呉市があります
呉市では、しちょる、やっちょる、みちょる
というような方言がありますが、これはどちらかというと山口県の方言です
広島市はしとる、やっとる、みとる
です
山口県から広島市に入り、呉市につく頃は方言は山口県のようになります
呉市を抜けると山口県の方言はなくなります
海軍の影響がこの広島県内にあって、呉市と付近の島、江田島などに山口弁の体系が残ったのではないかと思います
言葉は時代と共に変化をし続けていて
東北もまたいろいろ変化をした結果が現在の方言かもしれません
そういう意味で津波の結果、方言が変化をしたというならそれもまたありなのかもしれません
■被災地方言、消滅の危機=避難で若年層流出−「継承」取り組む動き・東日本大震災7年
(時事通信社 - 03月07日 07:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5015978
ログインしてコメントを確認・投稿する