mixiユーザー(id:19565687)

2016年03月20日14:04

768 view

人骨

長崎市八百屋町ってぇと?

地図をみると街中だから…
これは恐らく原爆の時の死体ですかね。
きっと

広島でも人骨が今でも出るようなのでそんなとこでしょう。
一応、鑑定が済んでみないと分からないというとこでしょうかね

(追記)更に調べてみると

http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0504/index2.html

長崎市役所がある国道34号線を正面としているが、教会時代は裏通りにあたる八百屋町通りの方が本通りだったことが館内の資料から知ることができる。この通りは当時船着き場があった(NBC長崎放送)付近と山のサンタマリア教会を結ぶメインストリートだったのだ。そして、この通りは長崎ではじめて石畳が敷かれた場所でもある。


なるほど、教会がたくさんあったのか?
まとめて無造作に固まって人骨があったのか、並んで人の形をした状態で埋まってたのかで見た感じは違ってきますね。

並んで埋まってたのなら墓地とか埋葬したんではないかと思いますけども
一箇所に又は無造作にあったというなら、教会のたくさんあった土地とすればキリシタンの虐殺、埋めてしまった跡か、原爆による死亡者の火葬?
そんなとこでしょうか?

キリシタンの虐殺、処刑なら骨にも刀傷とか切断跡がありそうですがそこは鑑定ですね?


長埼でまとまった人骨が出たという記事を見て「原爆」と結び付かなくて、何かの遺跡?とか墓地?
みたいな反応やらを見ていると原爆は見事に風化してるなぁと思いました
まぁ、長埼、広島以外での原爆を取り扱った平和学習なんてほとんどやってないかもしれませんが


(追記)ちなみに、原爆と仮定すると山陰になっていて爆風の直撃は受けていなさそう
教会跡地とか敷地とかもしあったなら、そこで被災し死亡した身元不明の死体を焼いたとかいうことかも知れません
身元が分かっていれば普通に火葬して葬ることでしょう


(追記)もっとも原爆が炸裂しマッハの爆風が襲ったあと、そこここで火事が起き破片だらけになっているから凄まじい火力になって、火事嵐になって燃える物が無くなるまで夕方まで大火災が襲っていたはずなので
たとえば、庭を掘り下げて簡易の防空壕を掘っていて、そこに避難してとりあえずしのいでいて
爆風の直撃を受けずに済んだけど、生き残った人々が取り敢えず簡易の防空壕に入って身を隠したが
そこに凄まじい火災が襲ってきて…

さて。
まぁ、なんにせよ鑑定まちでしょうか?


「広島の視線 」
http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/35252310.html

8月10日以後、死体の焼却が続いた。100〜200mおきほどに死体を並べ火葬した。昼夜にわたり市内の至る所で火葬の煙が立ちこめ、未処理死体の腐臭と混ざり、全市は当分の間臭気で満たされた。焼け跡や川に散乱していた死体は、殆ど軍隊、郡部の警察関係、警防団によって火葬された。
8月15日、終戦となり軍隊は解散された後、市内の崩れ落ちた壁や煉瓦の下、防空壕や井戸の中に数多くの死体が残されていた。この死体処理は保健課が担当した。保健課には戦時中百数十人の人夫がいたが被爆後は殆ど出てこないため、作業員を募集した。当初皆無だった応募者もやがて増え、数班に分かれ市内を歩き回り、死体を引き上げては学校の校庭などで火葬した。腐乱した死体の処理は困難を極め、11月頃まで続いた。(広島市HP)


■工事現場から10体分の人骨 事件性は低い模様 長崎
(朝日新聞デジタル - 03月19日 23:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3906675
4 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する