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2015年11月16日22:59

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パリ攻撃、仏大統領がサッカー場で迫られた決断

パリ攻撃、仏大統領がサッカー場で迫られた決断
自爆テロ発生直後、観客を避難させるべきか否か――


http://jp.wsj.com/articles/SB10589961604557044643904581359210591641084?mod=WSJJP_hpp_LEFTTopStoriesFirst

By STACY MEICHTRY, JOSHUA ROBINSON AND NICK KOSTOV
2015 年 11 月 16 日 20:15 JST


【パリ】パリ近郊のスタジアム「スタッド・ド・フランス」の外で自爆テロによる爆発音が響いたとき、オランド大統領はスタジアムの中でサッカーの仏独代表チームによる親善試合を観戦していた。

 数分以内に、大統領は緊急事態を知らされた。

 パリが過激派組織「イスラム国(IS)」による攻撃を受けていた。大統領はスタジアムにいる数千人の観客を避難させるべきか、それとも中にとどめておくべきかの決断を迫られた。

 フランス政府関係者によると、オランド大統領はそばにいた少なくとも2人のVIPなサッカーファン――仏サッカー連盟のノエル・ル・グラエ会長と警察を管轄するカズヌーブ内相――と相談し、試合を続行させることを決断した。

 仏代表のミッドフィールダー、ラサナ・ディアラ選手とアントワーヌ・グリーズマン選手がピッチで戦い続けている間、街の反対側ではこの2選手の親族が事件に巻き込まれていた。

 オランド大統領は犯行グループのメンバーが待ち構えているかもしれない通りに、急いで観客を出すには危険すぎると判断した。

 実際、彼らはいた。

 3グループに分かれた実行犯らは密接に連絡を取り合いつつ、黒い車でパリ市内を駆け抜けながら、33分の間にロックコンサート会場と他の5カ所を襲撃した。一連の攻撃で少なくとも129人が死亡した。犠牲者の中にはディアラ選手のいとこも含まれている。

 ディアラ選手は声明を発表し、「彼女はロールモデルであり、サポーターであり、姉のようだった」とその死を悼んだ。

 一連の攻撃は、テロに対して世界で最も厳しい対策をとっているはずの国の一つに不意打ちを食らわせた。オランド大統領は今年1月の週刊紙シャルリエブド襲撃事件とユダヤ食品店での人質立てこもり事件以降、治安当局に警戒態勢を敷かせてきた。また米愛国者法のフランス版ともいえる、情報収集のための新たな法律を通過させた。

 だが、13日のテロはフランスにとって予想外だった。オランド大統領は今年3月にアルプスに墜落した独ルフトハンザ傘下の格安航空(LCC)ジャーマンウィングスの犠牲者の遺族らとともに、サッカーを観戦していた。


午後9時25分。パリで最もおしゃれなナイトスポットのひとつ、カンボジア料理店の前に黒いセアトのハッチバックが止まった。中には自動小銃を持ち、爆発物付きのベストを着た男たちが乗っていた。

 アレクシス・デブレイルさん(38)は友人2人と食事中だった。黒い服の男が近くのテーブルの上に爆竹を放り投げると、客が一斉に立ち上がった。男が発砲した。銃弾はデブレイルさんの膝に命中。友人の1人は尻を撃たれた。

 通りの向かいでは、店でビールを飲んでいる若者たちに向かって別の男が発砲した。犯人グループがハッチバックに戻るまでに15人が死亡した。その中にはデブレイルさんの隣に横たわっていた女性も含まれている。

 デブレイルさんは「彼女の髪をなでて『一緒にいよう、がんばれ』と声をかけた」と振り返る。「その後、彼女から完全に血の気が引いて、亡くなったことが分かった」

 ハッチバックはそれから3軒のバーとカフェを襲撃し、さらに24人を殺害した。最後に襲った店では、ハッチバックが走り去るなか、犯人の1人が自爆した。警察は車に乗っていた犯人を今も捜している。

 9時30分、スタジアムで2度目の爆発音が聞こえた。ゲートHで、1人が自分のベストを爆発させた。

 オランド大統領と側近たちは安全な特別観覧席に集まっていた。仏サッカー連盟の広報担当者によると、一行は「ファンにとってスタジアムが最も安全な場所」だと感じていたという。

 ハーフタイムが近づく中、当局は静かにスタジアムの出入り口を封鎖し、ファンが外に出ないようにした。スタジアムの並びにあるマクドナルドの店舗で3番目の自爆テロがあったが、犠牲者はいなかった。

 オランド大統領はさらなる決断を迫られた。試合を続行すべきかどうかだ。ファンがいぶかしがらないよう、選手たちには発生中の事件のことを知らせなかった。仏代表チームの広報担当者は「私たちが答えられない質問をするであろう選手たちに警告を発する価値はなかった」と話した。

 街の反対側ではミッドフィールダー、グリーズマン選手の女きょうだいがコンサート会場のバタクラン劇場にいた。目撃者や検察当局によると、9時40分、爆弾付きのベストを着て銃を持った3人が黒いフォルクスワーゲンから飛び出し、劇場内に押し入った。最初の銃声が響き、演奏中のバンドがステージから逃げ、照明がついた。

 観客の多くがステージ近くで逃げ場を失い、出口に殺到する人々もいた。カメラの映像には3階の窓にぶら下がっている人や、遺体をひきずりながら逃げる人の姿も映っている。

 遺体の数が増えるに連れ、発砲が収まってきた。襲撃犯らは入念に劇場内を動き回り、倒れている人にとどめを刺したり、武器に弾を詰めたりしていた。目撃者によると、流ちょうなフランス語でオランド大統領をののしり、自分たちの攻撃は米国主導による対IS掃討作戦にフランスが関与していることへの報復だと言った。

 警察特殊部隊(SWAT)が劇場の外で配置につき、午前0時20分、中に突入した。検察当局によると、部隊が襲撃犯の1人に向けて発砲すると、犯人は自爆。残る2人の襲撃犯もあとに続いたという。

 劇場内での死者は89人に達した。目撃者によると、劇場の床が血に染まって赤くなっていたという。

 スタジアムで観客が外に出ることが許されたのは、試合終了後1時間以上が過ぎてからだった。結果は2対0でフランスがドイツに勝った。選手たちはスタジアムに残ることを余儀なくされた。

 13日朝にホテルで爆弾攻撃の脅迫を受けていたドイツ代表チームはどうしてもパリを離れたがったが、その手段がなかった。航空便もホテルの部屋も手当てできなかった。

 フランス政府は選手とコーチ陣に対し、国のトレーニングセンターに泊まるよう提案した。だが総勢100人強に及ぶドイツ選手団は全員一緒にいることを決断し、スタジアムの床にマットレスを敷き詰め、夜を明かすことにした。フランス代表チームもその場を離れなかった。

 夜中に、明け方にフランクフルト行きの航空便があることが分かった。フランス代表チームにとって、それは帰宅のサインだった。彼らが乗り込んだバスは午前2時55分にスタジアムを後にした。選手たちは携帯電話に飛びついた。

 グリーズマン選手が女きょうだいの無事を知ったのはそのときだった。彼はツイッターに「よかった。(彼女は)バタクランから無事に逃げ出せた」と投稿した。




この試合はフランスでテレビ生中継もされていたそうですが、中継も最後まで通常のまま行われたそうです。
そして試合後に事件を伝え始めたそうです。

しっかりとした情報統制を行いテロの被害を最小限に抑えようとしたんでしょう。
果たして、サミット、オリンピックなどの時、これと同じような状況が発生したら日本政府、マスコミは最適な対応がとれるんでしょうか?
事件後、市内の各所に武装をした軍隊と、小銃をもった警察官が配備され、公共、観光名所が閉鎖され、外出をしないよう市民に布告するなど、対応は素早かったのではないかとおもいます。

日本では自衛隊が色んな理由で配備されることはないかとおもいますが、果たして軽装の警官隊でどこまでやれるんでしょうか?

政治家の資質、危機管理をするお役人の能力もさることながら、国民もまた振る舞い、協力が求められるんだとは思うんです。

せめて、自衛隊の警備配置くらいはやれないのかなぁとおもうんです。

焦点:パリ攻撃は9月決断か、反転攻勢に出る「イスラム国」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=3715131


パリ同時多発テロとパンドラの箱を開けた日本人テロリスト

http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20151116-00051500/

フランス・パリ中心部で起こった同時多発テロをめぐり、欧米メディアが自爆テロを「kamikaze」と表現していることに、日本国内で困惑の声が上がっている。

(中略)

「kamikaze」とは、太平洋戦争時における日本軍の「特別攻撃」に由来する言葉だ。ただ、「特別攻撃」は基本的に艦船や兵士を標的とした一方、自爆テロは一般人を含めて無差別攻撃とされ、全く同じものとは言えない。また、いつ、どのような過程で「kamikaze」が「自爆テロ」の意味で使われるようになったのかも不明だ。

パリでの事件を「kamikaze」と呼ぶ欧米メディアに対して、日本のネットユーザーが困惑しているというニュースです。日本が第二次大戦末期に行った自殺攻撃の中でも、神風特攻隊は「カミカゼ」として自殺攻撃の代名詞になっていますが、神風は「基本的に艦船や兵士を標的」とした一方、「自爆テロは一般人を含めて無差別攻撃」であるから、全く同じではないという記者のコメントも入っています。

神風特攻隊が軍事目標を標的にしていたのは事実です。このことを強調し、欧米メディアを正したい気持ちも理解できなくはありません。しかし、今回のテロ事件に関しては、そういう行動は控えた方がいいかもしれません。なぜなら、一般市民への無差別銃撃を最初にテロ手法として実行し、世界中のテロリストに広めるキッカケを作ったのは、他でもない日本人だったのですから。

一般市民を標的にしたテロのはじまり

1972年5月30日、テルアビブ・ロッド国際空港(現ベン・グリオン国際空港)において、日本の極左過激派集団のメンバー3名が自動小銃を乱射するテロ事件が起こしました(テルアビブ空港乱射事件)。「日本赤軍」の名前で犯行声明が出されたこのテロでは26名が死亡し、また実行犯3名のうち2名が死亡、1名が逮捕されています。

このテルアビブ空港乱射事件が衝撃的だったのは、それまでの政治的テロが要人、団体や施設といったテロリストの政治目的に関連した、限定された目標に対する攻撃だったのに対し、単にテルアビブ空港にいただけの市民を無差別に殺傷したことにあります。ハワイ大学のパトリシア・スタインホフ助教授(当時)は、実行犯唯一の生き残りである岡本公三に無差別に殺された市民について尋ねており、岡本はその問いにこう答えています。

(中略)

このような「敵」と「罪無き傍観者」(市民)の間に区別が無いとする岡本らの思想と行動は、その後のテロリズムに大きな影響を与えます。銃や爆発物を使った市民に対する無差別テロが当然のように行われるようになり、それが自殺攻撃と結びつくことで、近年著しい被害をもたらしている自爆テロとなります。日本人テロリストが行ったテロが、世界のテロを変えてしまったのです。

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