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2020年04月07日15:37

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【社会】 カルネアデスの板舟

人、地域、国、世界。今の日本は全て繋がりがあり、良くも悪しくも共生してきた。どこかを閉じ込めるという事は…厳しい言い方をすれば、その部分を見捨てるという事だ。
要請による移動の制限にせよ、外国の強制力をもった都市封鎖命令にせよ、切り捨てられる弱者にとっては生死に関わる大問題。
しかも政府の保障も、先日大枠の報道でもあった通り、ほぼアテにならない。
(補給も何もなしに 「死守」 「自活せよ」 を南方の戦地に命じた、戦時中の大本営と何ら変わらぬ)
ある程度の自由があるのなら、逃走する人々が出るのはむしろ当たり前だろう。
私は彼らを非難も出来ない。

■「東京脱出」SNS拡散中 新たなクラスター生むおそれ
(朝日新聞デジタル - 04月07日 07:05)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6037261

先々週から政府の生活支援策や医療崩壊の危機、あるいは合衆国のマスク海外持ち出しの禁止などが報じられる度に、カルネアデスの板舟という説話を思い出す。

本嵐の海に船が難破して投げ出され、人間一人を辛うじて浮かべる程度の板切れに掴まっていると、助けを求めてきた漂流者が板に掴まろうとした。
この漂流者を自らの生存のために突き飛ばして自分ひとりは助かり、突き飛ばされた漂流者は溺死した。さて助かった者は殺人の罪に問われるか?という話。
現在法的には (過剰防衛の判断余地があるが) 「緊急回避」 の視点から罪には問われない。

 ………

今現在、ありとあらゆる場所で緊急回避・選別という判断を要求されていると、強く意識せざるを得ない。

飲食店の死活問題も、普段なら店にカネを落として支援することが出来る。
医療現場の問題も、普段なら生命維持装置の取り合い・患者の選別など絶対ない問題だ。
しかし、今起こっている光景とは平時のそれではなく戦時のものだ。
また感染者の少ない地方在住者が、安全のために都会を“突き飛ばす”例だってある。移動自粛だけでも不利益や理不尽を味わった人々は多い。

戦時の非情さを理由に、皆見えないフリをしてはいないか?

“突き飛ばす側”にエゴイズムの為せる業だという意識があればまだ救いだ。
側にいてやれなくても、何か助けてやれないかという思考になってくれれば。

壊死した箇所を片っ端から切り落とした体で、再び立ち上がることが出来るのか?
それを考えれば、救済策がノープランというのは無責任ではないか?
上がそれなら下々の者たちが逃げ惑うばかりだ。


近日の報道は感染状況と日本版ロックダウンの話、、つまり恐怖を煽る話やムダな話 (巣鴨のシニア客の盛況ぶりとか映像で報じてしまい、「ああなんだその程度か。だったらオレらも外出しても構わねーや」 的気分の醸成に加担してしまうなど、配慮が足りない) ばかりだが、もう少し他人のこと・ひいては社会のためになる前向きな情報を提供して欲しいものだ。


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