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2019年10月15日18:03

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暗黙知について 2 無意識と暗黙知

フロイトやユングの時代とは無意識に関する考え方も少なからず変わっている
暗黙知についても同様なことが言える

無意識は意識に対して作用を及ぼすものとして考えられてきた
言ってみれば 意識全体の中で
無意識は意識に含有されるものと言った感じだ
まー 上位集合が意識でそこに含有されるものが無意識みたいなイメージだろう
一般的に言われる無意識も
「気づかないうちに」とか「特に意識しなくても」というような話の流れで使われる


対して暗黙知は集合で言えばもっと独立性が強い
幾多の集合が意識集合の外側にあるイメージだ
体の動きや 物事の捉え方から
道徳判断や 生殖や食欲に関するもの
そのほとんどはいわゆる言語的な意識の外側に独立的に存在している


職人が刃物を研ぐ体の動きで
足をどう構えるか 足の親指にどのように力を入れれば刃物の切削面が水平に動くか
などの経験的知識は暗黙知として全く言語的に意識されないままに蓄えられる
そこでは言語化できるような因果関係は全く考慮されない

見ず知らずの人間が目の前で体のバランスを崩せば
意識する前にその体を支えるに有効な動作をとり
さらには そうす「べき」であるというかなり社会的な判断もその暗黙知に含まれる
そしてその動作をとるには ほとんど経験を要しない重量や引力の前提も含まれている
軽いバランスの崩れであれば手のひらを差し出し
意識を失うような崩れ落ち方の場合はその重量を支えよいうとする

そして その動作の後に
人間はその行為を言語として理解する
いわゆる人が意識できる「経験」とはこの言語に変換する過程で生ずるものだ
では意識できない部分の経験とはなんだろうか?

短期的な反射的行動の場合は
おそらく非言語のままでもそれは可能だ
タコが電極に反応する実験のようなものという意味で
しかし それが蓄積するためには
そこに言語が存在しなくてはならない
事象自体を圧縮ファイル化するための言語化だ
ただその過程は「言語化するため」に作られたシステムではありえないので
何らかの他の反応から副次的に活用されたものに過ぎない
よってさほど正確な記憶の保存ではなく
その記憶に構文はない
ただそれゆえに おそらくは人間の言語の曖昧さを持たず
反応も速い

記憶とは基本的に言語を介して行われるものなので
暗黙知や無意識の概念もその原則から外れるものではない
しかし
それはいわば目に見える記号としての言語の手前にあるものなので
いわば 文章としてのそれぞれの関係性を持つことのない単語的なレベル以上には言語化できないものとなるだろう
いわば 素材が独立して存在するようなイメージだ



続く

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