皆様、おはようございます。
マイミクのえりささんの日記でのコメントをメモ(記録)と致します。
課題:ぶどう園の労働者のたとえー私は主の御心を理解している
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聖書には、先に来る者も後から来る者も賃銀は同じだと記されている。これは神様が後から来る者たちを意図的にえこひいきされているのではないか。
お勧め文章どうぞ御言葉を語られた主の御旨がどういうものか分かるように
https://www.bible-jp.org/workers-in-vineyard.html?source=tgz&num=275571
2020年6月15日 12:50
モリオバッハ
2020年6月16日 08:21
おはようございます。
全ての者は、後先に関係なく、全て平等に、公平に、神様は、診ているのです。
真理を早く発見出来るか否かに、関係なく、神様の言葉、イエス様の言葉を忠実に、実践・研鑽出来るか否かが問題なのです。
大半の聖職者や信者は、真理を発見出来ず、他界されています。
半世紀余り、教会に通い続けている長老でも、真理に気づけず仕舞いで、他界している人を多く診て参りました。
長年教会に通い続けていなくても、初めて教会の礼拝に参加されて、アバウト的ではありますが、真理に気づける人もいるのです。
日曜礼拝や様々な礼拝で、聖書のメッセージを聞いても、それを、実生活に活用して、実践・研鑽する人も、極少でした。
只、聖書のメッセージ情報の知識を蓄え続けて、情報過多、知識過多では、何も、実生活にいい影響を及ぼさないことも多々検証してきました。
大半の聖職者や信者は、知識を知恵に変換出来ないため、ライフスタイルをより充実させることが出来なかった、或いは、寄与しなかったことも検証済です。
心の器を大きく育てるために、実践・研鑽・修行・修練が必要不可欠です。
只、聖書の聖句をコピペしたりしても、実践が伴わなければ、人間形成、心の器の形成は、出来ないことも検証済です。
聖書の聖句を、他人事として取り扱うのではなく、自分事として、どのように導入するかが、問題であることを、肝に銘じて欲しいのです。
私自身は、高校1年生(1963年)時、初めて教会を訪れ、高校生のための聖書研究会で、3年間、喧々囂々で、参加者の皆様とディスカッションし、イエス様の慈愛心と正義感で、これからの実生活に活用しよう!!と意識改革(意識革命)し、今日まで、実践・研鑽をし続けています。
どうぞ、実践しなければ、聖書を只勉強しても、実生活に寄与しませんから、意味がなく、勿体ない世界観と映ります。
如何でしょうか?
色々と実践・研鑽されて、聖書の醍醐味を吟味され、検証して診てくださいね!!
感謝。
えりさ さん
2020年6月16日 09:32
> モリオバッハさん 信仰歴長いですね。
モリオバッハ
2020年6月16日 10:07
> えりささん
早々のメッセージありがとうございました。
私は、長い間、教会の皆々様と親交はしていましたが、信仰はしていません。
理系人なので、使徒信条や主の祈りが、自然法則(特許法第2条規定)にマッチング(合致)しないため。
信仰はしてきませんでしたが、日々、イエス様のスタンス(慈愛心・正義感)を持ち続け、学生時代、サラリーマン時代に、実践・研鑽に尽力して参りました。
常に、実践者として、貫徹してきた次第です。
理系人の思考法は、検証出来ることは、比較実証実験して、事実の確認、真実の確認、真理の確認をすることにあります。
検証済出来ないことは、仮説や推定をたて、論証に、矛盾・不条理がなければ、それは、正しいものと見做すとの法律的な診方を採用してきた次第です。
そのような診方から、聖書の中身を吟味して、夫々の聖句を実生活に役に立つように、精進してきた次第です。
教会活動も、長く続けられたことは、教会の皆々様のおかげでした、
信仰も大事ですが、親交も、深めていって欲しいです。
如何でしょうか?
感謝。
本件テーマ:
https://mixi.jp/home.pl#!/diary/67243587/1976009771
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