皆様、おはようございます。
マイミクさんの日記で、正しい宗教と邪教とはどう見分けるでしょうか。 についてのコメントをメモ(記録)と致します。
Q1:正しい宗教と邪教とはどう見分けるでしょうか。
A1:他の相手の宗教に対して、邪教だ!!邪道だと叫んでいる宗教を邪教と定義づけました。
参考:
戦前から存在していた様々な宗教・宗派をはじめ、戦後、急拡大した新興宗教の大半は、自分自身の信仰している宗教が正教・正道で、他の宗教・宗派は、邪教・邪道と呼ばれて、扱われてきました。
キリスト教においても、カトリック系の信者は、プロテスタント系の信者に向かって、邪教扱いをして参りました。
プロテスタント系の信者は、カトリック系の信者に向かって、心の中では邪教と想っていても、公然で、口に出して、邪教と言っている信者は、極少でした。
mixiをはじめて、12年半、種々の宗教のコミュニティに参加して、コメント書きをして参りましたが、プロテスタント系の信者よりも、カトリック系の信者の方がはるかに、プロテスタント系を邪教と扱っていました。
カトリック系の信者は、都合が悪いコメントを書き込むと、コメンターの了解も得ず、勝手に、コメントを消去してしまう、ワガママな人が多くいることも診えました。
プロテスタント系にも、少数ですが、勝手にコメントを消去してしまう人もいました。
都合の悪いコメントも受け入れて、折角書き込んで戴いたコメントを勝手に消去せず、反論をしたければ、理由を付記して、コメントの対応を図らなければ、お互いに勉強になりませんし、得る所もありません。
時間の無駄使いになってしまい、誹謗中傷のコメント合戦では、お互いに、傷つくだけで、得る所がなかったので、その関係のコメント書きや、いいね!付記も止めた次第です。
西洋の宗教は、自己主義を出発点としているので、自己を中心にして、他を診たり、捉えたりしているのです。
それに対して、東洋の宗教は、他を中心にして、自己を診たり、捉えたりしているのです。
しかし、本来のそれらの思考法は、忘れられてしまい、自己を中心にした診方になってしまったのです。
東西の世界での本質的な診方の相違観が、認識出来ましたでしょうか?
私は高校1年生(1963年)時、世界史の授業で、「隣人を愛せよ!!」と教えているにも関わらず、なぜ、クリスチャン同士が戦争・葛藤してしまうのか?
また、日本史の授業と宗教の授業で、日蓮宗内の各宗派同士で、なぜ、戦争・葛藤をしてしまうのか?
に疑問を持ち、担当の先生も、回答出来ず、100人余りの聖職者(牧師、神父・司祭・伝道者・宣教師・高僧・宮司・神主)のプロにインタビューしても、誰一人明解な回答を言えたプロはいなかったのです。
そこで、一生掛けて、この問題解決に取り組むことを高校生時代決心したのです。
20年、30年、40年取り組んできて、気づいたことが、上記A1なのです。
同じ宗教内で喧嘩してしまう世界観、これを脱皮しなければ、永遠に、世界の健全化は達成できないことに気づかれるでしょうか?
自己中な姿から利他中な姿に、変心することが求められているのですよ!!
宗教の真理が、同一(同質)であることに、気づければ、他との争い事は起こらないのです。
なぜ、宗教に取り組むのか、取り組んで、何をマスターしたのか。
マスターしたことを、自分自身のスタンス&ライフスタイルに活用しなければ、宗教に取り組んでいないことに等しく、意味のない、無駄な時間で、勿体ないお話になってしまうのです。
どうぞ、疑問に想われた「正しい宗教と邪教とはどう見分けるでしょうか。」を切っ掛けに、宗教の真理への探究にご尽力して戴ければ幸いです。
ご理解、ご認識が出来たら嬉しい限りです。
如何でしょうか?
感謝。
追記:
どの宗教も、実は正しいのですが、宗教をしている人間が、悟りを開けないために、人間自身が宗教をダメにしているのです。
相手の宗教を邪教扱いにしなかった坊さんは、弘法大師空海、道元上人、良寛さんと一休さんぐらいしかいません。
宗教をしている人間がこのような状況(状態)では、いつまで経っても、世界の健全化は達成出来ないのです。
世界の宗教は、究極、ワガママするな!!と教えているにも関わらず、人間一人ひとりのワガママが、世界の悲劇・不幸事件から一人ひとりの悲劇・不幸事件までを引き起こしてしている根本原因と考察した次第です。
宗教自体は正しく、宗教に携わっている人間自身が悪い観を認識して戴ければ幸いです。
感謝。
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