「倫理」が好きコミュのテーマ「新年のご挨拶 管理人 やすいゆたかより」についてのコメントをメモ(記録)と致します。
柱書:
新年のご挨拶 管理人 やすいゆたかより
2020年01月04日 13:40
やすいゆたか 新年あけましておめでとうございます。
旧年中は「倫理が好き」のコミュニティのご利用ありがとうございました。本年もよろしくお願いします。世界はトランプ大統領の登場で「自国第一主義」が荒れ狂っており、普遍性を求める倫理学はまことに肩の狭い思いをしていますが、それは天に唾するようなものですから、やがて手痛い打撃を受けて破綻するでしょう。しかしそれを待っていると地球環境にしても世界平和にしても世界経済の協調的な発展にとっても取り返しのつかないことになってしまわないか心配です。
こんな時こそ大いに「倫理が好き」に書き込んで議論しましょう。最近諸般の事情でわたくしも含めて書き込みが減っていますが、新年を契機に頑張りたいと思います。
以下は『ウェブマガジンプロメテウス』掲載の私の新年のメッセージです。
世界に向けて哲学する Philosophy toward the world :2020年新年の挨拶 文責 やすいゆたか
Date: 1月 2, 2020
□2020年新年あけましておめでとうございます。
□今年はいよいよ私も後期高齢者の仲間入りをすることになる予定です。西田幾多郎が後幾年の桜なるかなと嘆いたのは60歳過ぎで、彼が亡くなったのは75歳でした。その間に彼は超人的な仕事をしています。
□私も今から後幾年という心境になっていたのでは遅すぎるかもしれませんが、前のめりで死にたいという西田の気持は痛い程分かるので、レースは最後の直線に入ったわけですが、老骨に鞭打って頑張ろうかというところです。
0001□さて今年は「世界に向けて哲学する」というのが大きな課題です。それで 三L出版 (2019/10/26)『学習・文化スポーツ・ボランティアに報酬をー脱労働社会化と分配革命』の英訳にとりかかっています。英訳など最も苦手とするところですが、AI翻訳の力を借りてチャレンジが可能になってきたので、やらないという選択肢はないかなと思っております。
□今、日本経済は大変な人手不足で、「脱労働社会化」などピント外れな議論だと苦笑されるかもしれません。しかし人手不足の時期こそさらに省力化の技術革新が進化します。バブル崩壊後の長期停滞の原因は、「脱労働社会化」という認識の欠落にあったわけで、省力化によって生じた雇用所得の減少を財政から補填しなかったところにデフレの最大の原因があります。
□そして今後の「脱労働社会化」を見据えて、「参加型所得」の導入を図っていかないと、日本経済の凋落は防げないというのが本書の主旨です。
□脱労働社会化で雇用所得がなくなるので、労働によらないで所得を得ることができない無産者大衆は、労働以外の社会的に有意義な活動から所得を得られる仕組みを構築しないと、人口の大多数が無所得に成り、経済が破綻します。ところが有意義であっても価値生産に関わっていないので対価を与えるべきではないという「労働価値説」の固定観念に支配されていて、これを突破できないと「参加型所得」の導入は国民の納得をえるのが難しいのです。
□しかしよく考えてみますと、学習・文化スポーツ・ボランティアといった活動ももし存在しなければ、経済のサイクルがつまってしまい、暮らしていけなくなります。雇用労働が殆どなくなっていく社会では、労賃から分けることができないので、直接それらの活動に量・質・貢献度に応じて財政から分配するのは極めて当然のことになります。
□つまりそれらの活動も生産現場で行われていなくても価値生産を構成していたとして認知する「活動価値説」が必要になるということです。AI・自動機械・汎用ロボットなどの機械と社会的な諸個人の活動は、離れていても実は表裏一体のもので、全体として人間を構成しているとする「包括的ヒューマニズム」こそが21世紀の人間観として求められるということです。
□日本だけで議論していても打てば響くというわけにいかないので、英訳して世界に向けて哲学するという姿勢を示せば、反応もまた違ってくるかというのは甘いかもしれませんね。
□さて今年は『日本書紀』1300年で、それを記念して「歴史知」という方法で日本建国史を俯瞰したような著作を仕上げたいと念願しています。これの英訳は時間がかかりすぎるので無理ですが。
歴史倫理学1□それとも大いに関連しますが、『歴史倫理学の提唱』も一書にまとめたいと思います。東アジアの近代史の総括は「歴史認識」問題として日中韓さらに北朝鮮・台湾・香港なども絡んで倫理学の視点を踏まえた議論が必要になっています。事は善玉・悪玉の決定で決着するわけではありませんが、それぞれにとっての正義とはなんであって、そこにはいかなる倫理学的問題が孕まれていたかを解明して、きちんと反省しないと未来志向の関係も構築できません。
□歴史倫理学は中東問題とも絡んで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の対立をアブラハムの家族の問題にまで遡って見直すのでなければ、真の宗教的和解は不可能です。この問題を抜きには歴史倫理学は学問としては成立しないでしょう。
□包括的ヒューマニズムと歴史倫理学を踏まえた宗教的和解をつなげますと、人間にとってどうしてもそれに頼らざるを得ないものは何かという問題に成り、「光Light・命Life・愛Love」の「3つのL」の三L教という普遍宗教の原理が浮かび上がります。三L教の可能性についても今年は煮詰めていけたらと考えています。
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モリオバッハ
ヌーボ
コメント(3件)
[1] モリオバッハ
2020年01月05日 07:24
やすいゆたか 様
新年、明けましておめでとうございます。
本年も、ご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
いつも、明朗(めいろう)、愛和(あいわ)、喜働(きどう)、純情(すなお)のスタンスを抱き続け、今まで学習してきた多種多様の情報知識を集約化して、知恵に変えて、ライフスタイルに活用してこそ、「歓喜のボランティア(奉仕)人生」を謳歌し続けることに通じます。
お互いに、「歓喜のボランティア(奉仕)人生」を謳歌し続けていければ、嬉しい限りです。
毎日毎日が、新たな発見(気づき)であり、発見出来たことへの感謝の日々になれば幸いとの思いで、72年余りの人生を謳歌し続けています。
感謝。
モリオバッハ(芝崎守男)
[2] やすいゆたか さん
2020年01月09日 09:52
>>[1] モリオバッハさん 大体私と同世代ですね。人生を賛美つしし、奉仕に喜びを見出すというのはなんとも羨ましい限りです。わたしもそういう境地になりたいのですが。いつまでも谷底を這い回って喘いでいるような体たらくです。宜しくご指導ください。
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モリオバッハ
[3] モリオバッハ
2020年01月10日 09:45
>>[2] やすいゆたかさん
おはようございます。
温かいご返信、ありがとうございました。
私は、1947年9月5日生まれで、団塊世代の1期生です。
私は、高校1年生(1963年)に、近所のキリスト教教会(賀川豊彦牧師創立の東駒形教会)に通い出し、1964年から2007年まで、教会の礼拝堂で、オーディオ機器を介して、宗教音楽の啓蒙と普及のために、「バッハの音楽に親しむ会」を創立し、ボランティア(奉仕)活動の一部として、尽力して参りました。
また、1974年から2012年まで、東京文化会館、東京芸術劇場、東京国際フォーラムの音楽鑑賞室で、クラシック音楽の啓蒙と普及のために、「クラシック音楽を楽しむ会」を創立し、ボランティア(奉仕)活動の一部として、尽力して参りました。
1982年に、朝起き会(丸山敏夫創立の純粋倫理研究所)に通い出し、2012年まで、家庭倫理と企業倫理の会に参加し、企業倫理の会では、墨田区の中小企業の社長やその奥様方々に、経営哲学よりも、21世紀は、経営倫理を導入しなければ、企業として健全な経営が出来ないことを伝授してきた次第です。
松下幸之助の経営哲学では、多種多様の不正事件(不正会計、ねつ造、データーの書き換え等々)がいつまで経っても、延々と永遠になくならないことを、話て参りました。
案の定、東芝をはじめ、様々な大企業が、法律スレスレのスタンスで、不正を起こし続けています。
哲学でなく、倫理のスタンスで、経営をしなければ、健全な経営は続かないことを伝授して参りました。
これらも、ボランティア(奉仕)の一部として、実践・研鑽・精査・考察してきました。
相手(他社、お客様)に、喜ばれ、少しでも、お役に立てているか否か、が企業存続への判断基準としています。
お役に立てていなけらば、リピート・オーダーは来ないのです。
喜ばれているだけでは、一言さん的な商売になってしまうのです。
相手(他社、お客様)の利益を優先する実践が、なかなか、朝起き会の社長さん達でも、実行できない実践報告を数々聴かせて戴きました。
自社の金儲けを優先しているので、なかなか、実践できないことが判明できました。
哲学では、自分自身が中心であり、利己中(自己中心的な生き方)な経営になってしまうのです。
倫理では、相手(他社、お客様)が中心であり、利他中(相手を思いやり、共に、分かち合う生かされ方)な経営方針になれるか否かが、分かれ道です。
大半の企業は、まだまだ、経営哲学を方針として、実行されているので、これからも多くの多種多様の不正事件が延々と永遠に続いていくでしょうね!!
「信義則違反」、「公序良俗違反」にならないように、経営倫理に徹することを、ボランティア(奉仕)の一部として、邁進してきた次第です。
また、多種多様の病気で、長年、困惑し続けている人、病気治しを諦めている人、一生病気と共存している人のために、古代インドやチャイナから伝承されてきたお金の掛からない健康法も、ボランティア(奉仕)の一部として、1980年から現在に至るまで、実践・研鑽・精査・考察を繰り返してきました。
世の中には、色々なボランティア(奉仕)がありますが、究極は、哲学的な生き方ではなく、倫理的な生かされ方で、利己中から利他中へ生まれ変わることが出来るボランティア(奉仕)がベスト(最善)と伝授してきた次第です。
どうぞ、種々のボランティア(奉仕)で、出来るところから、お始めになってくださいね!!
本件コミュの「倫理」が好きだ!!の究極を、実践・研鑽・精進されなければ、倫理の存在理由、意味合いがありませんから。
「歓喜のボランティア(奉仕)人生」を、共に、謳歌し続けて行こうではありませんか!!
感謝。
[4] やすいゆたか さん
2020年01月10日 22:00
>>[3] モリオバッハさん 哲学と倫理を対置され、哲学を自己中心的なもの、倫理を奉仕的な態度と断定されていますが、本来哲学は学そのものであって、真の哲学は利己主義的なところはないと思います。何か論拠があっておっしゃるのなら、その論拠をご教示願います。
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モリオバッハ
[5] モリオバッハ
2020年01月11日 08:37
>>[4] やすいゆたかさん
おはようございます。
ご返信ありがとうございました。
仰る通り、真の哲学は、自己中心的なものでないことを認識しています。
しかし、実際、松下幸之助塾卒の経済人を診ると、真の哲学を実践されている人は極少です。
大半の大企業の経営者達は、真の哲学を塾徳(熟慮)されておらず、自社が儲かれば、他社はどうでもいいとのスタンスを多々診て参りました。
大半の人々は、哲学・倫理・宗教を一つの学問とみて、錯綜状態、誤認混同状況であることを観察してきたのです。
1980年から、独自に開催してきた種々のセミナーで、
哲学は、人生如何に楽しく生きるかを検証すること。
倫理は、皆様の働きのおかげで生かされているか、何と有難いことかを検証すること。
宗教は、自然(神仏)の恵みのおかげで生かされているか、何と有難いことかを検証すること。
と、伝授してきた次第です。
何の学問でも、机上で、参考文献を学習されても、実行・実践・研鑽・精査・考察を繰り返し積み上げていかなければ、自分自身のスタンス&ライフスタイルの改善に役に立たないのです。
哲学は自己の立場(診方)が主体ですが、倫理と宗教は自己が従体な位置づけです。
哲学・倫理・宗教をごっちゃにせず、夫々、分析・解析しての診方をしていけば、錯綜せず、誤認混同しないことを伝授してきたのです。
様々な宗教の説教(メッセージ)や倫理の講話を多々聴いて参りましたが、聖職者(牧師、神父、司祭、伝道師、宣教師、高僧、貫首、宮司、神主等々)、派遣講師の発信しているメッセージの中身を精査すれば、「如何に生きるか」を主体に話されていたことが判明できたのです。
「生かされる」との言葉は、メッセージの最後に話していればいい方で、大半は、その言葉が一つもない状況でした。
どうぞ、様々な聖職者や講話者の発信の中身を検証され、生きるか、生かされているかを精査できれば、発信者が何を伝えたいのか、認識できるとものと想われます。
哲学も、倫理も、宗教も、机上での学習に留まらず、常に、実践・研鑽・修練・修行を積み重ね、精査・考察して、行かなければ、進歩・発展はないのです。
机上の学習は、すぐ忘れてしまい、身につかないのです。
何でも、チャレンジして、検証を積み重ねてこそ、身についていくものなのです。
比較実証実験(検証)をしていくと、いつまでも忘却しませんよ!!
朝起き会の醍醐味は、「目が覚めたら、ぱっと起き上がる」との実践です。
目が覚めたことは、気が付くことに通じ、ぱっと起き上がることは、即行に通じるのですよ!!
実践が伴わなければ、何も意味がないに等しいのです。
何でも、検証することが大切なのです。
このようなことを、セミナーで、語り続けてきました。
少しでも、ご参考情報として供すれば、幸いです。
感謝。
本件テーマ:
https://mixi.jp/view_community_announcement.pl?comm_id=1215249&id=92368488
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