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2020年10月24日00:00

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イザヤ36-47章(16-37)

【イザヤ45:23「すべてのひざは......かがみ,すべての舌は誓いをたてる」という聖句にはどのような意味があるか】
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のよう に言っている。
「聖典の中で何度も言われていることで,しばしば誤解 されていると思われることに注意を喚起したい。それは『す べてのひざはわが前にかがみ,すべての舌は誓いをたてる』 という言葉である〔イザヤ45:23;ローマ14:10-11;ピ リピ2:9-11;教義と聖約76:110;88:104)。ひざまずいて舌が告白すればそれは罪が赦され罪から解放されたことを示すしるしであって,その人は昇栄を受ける用意ができていると考える人がわたしたちの中に何と多いことだろうか。あなたがもしそう思っているとすれば,それは大間違いである。そのような意味はこの聖句にまったく含まれ ていない。
『すべてのひざがかがみ,すべての舌が告白する』時が来るが,人類の大部分は永遠に星の栄えの王国に行く。次の聖句を読んでみよう。『将来,すべての人が主の救いを見る時が来る。あらゆる国民,部族,国語の民,民族が目と 目を合わせて見て,神の裁きが公正であることを神の御前 で認める時が来る。』〔モーサヤ16:1-4]
人が進んで,自分たちに対する裁きが正しいと告白し,ひざをかがめ心を一つにして理解する時期が来るということはすばらしいことである。」(『救いの教義』2:27-28) イザヤがこのように書いた目的は,義人と悪人の別を問 わず,世界のすべての人々に,イエス・キリストがイスラ エルの神であられること,また,いずれすべての人がその事実を認めざるを得なくなる日が来るということを確信させるためであった。その日にキリストに従うか,あるいはそれ以前にすでにキリストの弟子になっているかにかかわらず,すべての人がイエス・キリストを神の御子と認める日が来るのである。
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